安息日学校部

第6課 青年用:下地英樹

2020年第4期「教育―天国に備える教育」

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第6課  偉大な教師からのさらなる教訓 下地英樹

  • 今週のポイント
    1. 聖書は、「このようなわけで、ひとりの人によって、罪がこの世にはいり、また罪によって死が入ってきたように、こうして、すべての人が罪を犯したので、死が全人類に入り込んだのである」(ローマ人への手紙5章12節)と教え、すべての人が罪人であって死を避けることはできないと教えています。この罪人を救う唯一の解決策がイエス・キリストの十字架です。クリスチャンの使命は、この解決策を全世界の人々に指し示すことです。今週は、唯一の解決策であられる私たちの偉大な教師イエス・キリストに目を向けます。
    2. 創世記3章には、アダムとエバが罪の誘惑に負けてしまった物語が書かれています。2人は、神様から食べてはいけないと言われていた木の実を食べてしまいました。「木の実」は何を表していたのでしょうか?それは、「神を脇へおいやり、『私は人生の尺度になれる。自分自身の神になれる。私は神の言葉に対して権威を持っているのだ』と宣言することへの誘惑をあらわしていました」(40頁)。
    3. アダムとエバは罪を犯し、隠れてしまいました。神様は、そんな2人に対して「どこにいるのか」と問いかけられました。2人は自分たちの罪の恥と罪悪感から隠れましたが、神様は、彼らを救うために歩み寄り、探しに来て下さいました。同じように私たちも、神様に対して罪を犯し隠れたいと思うことがあるかもしれません。神様は、そんな私たちに対しても「どこにいるのか」と問いかけておられます。そして探しに来て下さり、救い出して下さるのです。
    4. 創世記28章には、兄を騙し逃亡するヤコブの物語が書かれています。神様は、逃げるヤコブに対して「わたしはあなたと共にいて、あなたがどこへ行くにもあなたを守りあなたをこの地に連れ帰るであろう。わたしは決してあなたを捨てず、あなたに語った事を行うであろう。」(創世記28章15節)と力強い約束を与えてくださいました。
    5. マタイによる福音書15章21節から28節には、カナンの女性の信仰の物語が書かれています。イエス様が、救いを求める異邦人の女性に対して冷たい態度を取ったかのように勘違いしてしまいますが、そうではありません。「救い主は、スロ・フェニキアの女をあわれまれた。イエスは彼女の悲しみを見て心をお痛めになった。彼女の祈りが聞き届けられた確証をただちに与えようと望まれたが、弟子たちに教訓を与えるために、しばらく彼女の悲痛な叫びをお聞きにならないふりをされた。ところが彼女は、イエスを信じる固い信仰をあらわした。キリストは、スロ・フェニキアの女を賞賛し、彼女の願い求めていた尊い恵みを与えてお帰しになった。弟子たちは、この教訓をいつまでも忘れなかった。そして、不屈の祈りが、どのような結果をもたらしたかについて記録を残したのである」(エレン・G・ホワイト「希望への光」1253頁)。
    6. マルコによる福音書10章46節から52節には、盲人バルテマイの目が癒された物語が書かれています。彼は目が癒された後、イエスに従いたいと熱望しました。この物語を通して、イエス・キリストが物理的視力だけでなく霊的視力を癒してくださることによって、新しい人生(よりよい人生)へと変えられている事を学ぶ事ができます。
  • ディスカッションのためのテーマ
    1. マタイによる福音書15章21節から28節のカナンの女の物語を読んでみてください。この物語を通して、どのような事を学ぶ事ができますか?
    2. ありきたりな聖書の教え方と、人々の人生に変化をもたらす説得力のある教え方とは、どのように違いますか?