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第6課 家族の絆の中に休みを見いだす 関谷修一
1.安息日午後
家族がいる家庭は、私たちの安らぎの場所です。しかし、同じ家族のいる家庭で、しばしば争いがあったり、決まりを守らずにひどいことを家族にされて、こころや体の痛みや苦しみ、悲しみを経験することがあります。けれど、そのような家庭にさえ、神は癒やしと本当の休みを与えようとして働かれています。第6課では、この神の働きについてヨセフの物語から学びます。
2.日曜日:家庭における機能不全
アブラハム、イサク、ヤコブ、ヨセフという人たちは、聖書の中では大変有名な信仰者たちです。しかし、一人ひとりの家庭にはたくさんの問題があり、誰もが辛い経験をしながら成長していきました。夫婦や両親、兄弟との関係や働きが崩れて壊れていたからです。それにもかかわらず、ヘブライ人への手紙11章には、アブラハム、イサク、ヤコブ、ヨセフたちの名前が書かれていて、立派に信仰をもって生きていたことが分かります。(ヘブル 11:9)
神の約束を通して信仰や愛を学び、困難があっても神への信頼を求めていった人々の姿を見ていきましょう。
3.月曜日:新しい方向を選ぶ
「しかしあなたたちは、その所からあなたの神、主を尋ね求めねばならない。心を尽くし、魂を尽くして求めるならば、あなたは神に出会うであろう。」申4:29
ヨセフが若い頃、兄弟から奴隷として売りとばされたことが聖書には書かれています。エジプトへの旅の途中、不自由さの中でヨセフの心はどんなに悲しみ、苦しみ、不安で一杯になっていたことでしょうか。それにもかかわらずヨセフは、神に従うということを自分で選び、決心します。兄弟との悲しい出来事がありましたけれども、神を選び続けることで、ヨセフは平安な心を保つことかできました。
誰でも心の平安を持つためには、一人ひとりが自分で神に従うという決心をしなければなりません。私たちがどんなに強く、素晴らしい信仰をもっていても、それが遺伝によって子供たちに受け継がれることはありません。聖書に神の子について記されてはいますが、神の孫たちについて言われていないのはそのためです。
4.火曜日:真の自尊心を見いだす
「御父がどれほどわたしたちを愛してくださるか、考えなさい。それは、わたしたちが神の子と呼ばれるほどで、事実また、そのとおりです。世がわたしたちを知らないのは、御父を知らなかったからです。」一ヨハ3:1
ヨセフだけではありません。誰でも自分がどれほど大切で、素晴らしいものかということを他人の言葉だけに頼るとき、大変な目にあったり、振り回されたりします。そうではなく、ただ神があなたをどのように用いようとされているのか、どのように神があなたをご覧になっておられるかを考えて、自分の真の価値を見いだすように心がけましょう。
その為にも、鍵となることはいつも同じです。それは、私たちはイエス・キリストにおいて、常に、どんな状況においても愛されているということ、肯定されているということ、あなたは世界で唯一無二の存在として神に愛されているということです。この事実に、あなたはどのように応えるべきなのかということを考えてみましょう。消極的な態度によって、あなたの素晴らしい価値を引き下げることがないようにしましょう。あなたは神の御かたちに似せて作られた尊い存在なのですから。
5.水曜日:神の関係づくりの方法
「これらのことの後で、主人の妻はヨセフに目を注ぎながら言った。『わたしの床に入りなさい。』しかし、ヨセフは拒んで、主人の妻に言った。『ご存じのように、御主人はわたしを側に置き、家の中のことには一切気をお遣いになりません。財産もすべてわたしの手にゆだねてくださいました。この家では、わたしの上に立つ者はいませんから、わたしの意のままにならないものもありません。ただ、あなたは別です。あなたは御主人の妻ですから。わたしは、どうしてそのように大きな悪を働いて、神に罪を犯すことができましょう。』彼女は毎日ヨセフに言い寄ったが、ヨセフは耳を貸さず、彼女の傍らに寝ることも、共にいることもしなかった。」創世記39:7-10
ヨセフとポティファルの妻との間に問題が起こりました。でもこれは、ポティファルの妻が他人を『物』とみなし、何でも自分の思い通りに「使える」と考え、ヨセフをも思い通りに『使おう』としたことから起こった問題でした。
この問題を抱えた女性の誘いに対して、ヨセフは聖書の教える大切な生き方を選びます。しかし聖書には、ポティファルの妻からの誘惑は、これは1回限りではなかったと記しています。ヨセフは、ポティファルの妻の要求に応えることのできない理由を説明しますが、受け入れられません。
ヨセフは、他人の選択をコントロールできないことを知らされます。けれど神に栄光をお返しできる生き方を選び、神を愛して生きることにしました。その力は、どんな時でも神が共にいてくださるという信仰から与えられたものです。同様に、どんな時でも神は私たちと共にいて、あなたを覚えてくださっています。これが私たちの力です。
6.木曜日:身近にある大争闘
「『あなたの奴隷がわたしにこんなことをしたのです』と訴える妻の言葉を聞いて、主人は怒り、ヨセフを捕らえて、王の囚人をつなぐ監獄に入れた。ヨセフはこうして、監獄にいた。しかし、主がヨセフと共におられ、恵みを施し、監守長の目にかなうように導かれたので、」創39:19 -21
ヨセフは神の言葉を信じて生きようとしたために苦しむことになりました。神を信じていても、私たちが生きているのは罪の世界です。善いことをしても、いつも喜ばれるわけではありません。悪がいつも罰を受けるということでもないようです。それでも、牢獄の中でさえ神はヨセフと共にいてくださいました。そのためにヨセフのこころには平安があったのです。
獄中のヨセフには、さまざまな人間関係がありました。人を助けたり、助けてもらったり。このヨセフから私たちも学びたいと思います。私たちは誰かに助けを求めることができるし、求めてもよいのです。サタンは、身近な人との関わりを利用して、神の御名を傷つけ、福音の計画を挫折させようとしてきますが、私たちは、自分一人でこのような戦いをしなくともよいのです。知恵を与えると言われる神の約束は(ヤコ1:5)、私たちの複雑な人間関係においても助けを与えられます。主がヨセフと共にいてくださってように、神は私たちと共にいてくださる。・・・この約束が、私たちの人生に平安と休息をもたらしてくれるのです。
7.金曜日:さらなる研究
「ここに、地上に生きるすべての世代に対する模範がある・・・。神は今そこにある助けとなり、主の霊は盾となるであろう。最も厳しい誘惑のただ中にあろうとも、すべての世代は、それらを用いて誘惑に対抗できるのである。・・・彼は、彼に対する評判と関心を神の手にゆだねていた。しかし神は、不正に訴える者によって汚された彼の評判を守られ、後になって、神の良しとされたときに輝かせられた。神は監獄をさえ、ヨセフを高める場所とされた。高潔は時が来ればその報酬を刈り取るのである。ヨセフの心を守った盾は、神を畏れる心であった。」(『預言の霊』第1巻132ページ、英文)。
■話し合いのための質問
1.理想的な家庭に生まれ育つことができなかったならば、あなたの人生はやりなおせないのでしょうか。
ヨセフの生涯から考えてみましょう。
2.ヨセフの人生は波瀾万丈でした。でも、いつも神の守りがあり、最後には祝福で人生が飾られているようです。
その秘訣は何だと思いますか。それは、あなたでも持つことができるものでしょうか。