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第6課 彼は私たちのために死なれた 松田 健
1.安息日午後
「今週は、キリストの死と、それが永遠の命の約束にどんな意味を持つかに焦点を当てて学びます。」(ガイドp.42)
「キリストが復活したことにより、私たちの復活は保証されている」とありますが、キリストの復活と罪人の私たちの関係性を学んでいきます。まずは暗唱聖句の周辺箇所、ヨハネによる福音書3:1〜21の文脈を理解して下さい。
2.日曜日:天地創造の前から
テトス1:2と黙示録13:8を読んでいただき、キリストの死による救いの計画が、いつから用意されているかを見てみて下さい。そしてその起源がいつから存在するかということは、私たち罪人にとってどんな意味があるでしょうか? その意味は、私たち罪人が神を理解する上でなにか役に立つものでしょうか?
3.月曜日:十字架への序章
イエス様の十字架という使命を理解していた人は、(キリスト以外に)いたでしょうか? 程度の差はあっても、どんなに近くにいた人物であっても、イエス様の使命を信じ、受け入れていた人はイエス本人以外にいなかったでしょう。
一つの例として、マタイによる福音書16:21〜23を読んでみて下さい。イエス様はどの様な思いで、ペテロに語られたでしょうか? ガイドのp44にもありますが、「すでにニコデモに対して、イエスは次のように宣言しておられました。『そして、モーセが荒れ野で蛇を上げたように、人の子も上げられねばならない。それは、信じる者が皆、人の子によって永遠の命を得るためである。』(ヨハネ3:14、15)イエスはフィリポ・カイサリアで、弟子たちに、「御自分が必ずエルサレムに行って、長老、祭司長、律法学者たちから多くの苦しみを受けて殺され、三日目に復活することになっている」(マタイ16:21)ことをお語りになりました。ひそかにガリラヤを通り抜け(マルコ9:30~32)、エルサレムへの最後の旅の途中、イエスは再び弟子たちに、ご自身の死と復活についてお語りになります(ルカ18:31~34)。なぜなら、それが彼らが聞きたくないことであり、そのために、聞く耳を持たなかったからです。私たちが同じことをしてしまうのは、どれほど簡単なことでしょう。」
聖書の中に、「聞く耳があるものは聞きなさい。」と何度繰り返されているでしょう。イエス様はどれだけ大切なことを事前に私たちに伝えていたでしょう。
4.火曜日:「すべてが終わった」
「『すべてが終わった』・・・(ヨハネ19:30)。戦いは勝利であった。イエスの右手とその聖なる腕が勝利をもたらしたのであった。征服者として、イエスは、その旗を永遠の高地にうちたてられた。天使たちの間に喜びがなかっただろうか。全天は救い主の勝利に凱歌をあげた。サタンは敗北し、彼の王国が失われたことを知った。」(『希望への光』p1077~1078)
じっくりとヨハネによる福音書19:1〜30を読んで下さい。
5.水曜日:主は私たちのために死なれた
ヨハネによる福音書3:16〜17とイザヤ53章を読み、瞑想してみましょう。
私のためにキリストは死ぬ必要があったのか?
つまりそのことを考えるのは、自分が罪人であることの事実とキリストがその私のために死ぬ理由を聖書から見つけなければ決して答えがでないでしょう。
6.木曜日:十字架の意味
「十字架の言葉は、滅んでいく者にとっては愚かなものですが、わたしたち救われる者には神の力です。」(1コリント1:18)この後の聖句も読んでみて下さい。1コリント1:18〜24です。
十字架の言葉と世の知恵の違いはなんでしょうか? ガイドの中には、「ギリシア語の『愚かな者』は英語の「ばか」に関連しており、十字架について説くことは、『世の知恵』によれば『ばかなこと』です。世の知恵は、イエスや、イエスが十字架の身代わりの死によって私たちに与えられる救いも知ることができません。」とあります。
つまり何を基準としてキリストの十字架を見るかは、かなり重大です。
7.金曜日:さらなる研究
「これらはすべて神から出ています。神はキリストを通して私たちをご自分と和解させ、また、和解の務めを私たちに授けてくださいました。つまり、神はキリストにあって世をご自分と和解させ、人々に罪の責任を問うことなく、和解の言葉を私たちに委ねられたのです。こういうわけで、神が私たちを通して勧めておられるので、私たちはキリストに代わって使者の務めを果たしています。キリストに代わってお願いします。神の和解を受け入れなさい。神は、罪を知らない方を、私たちのために罪となさいました。私たちが、その方にあって神の義となるためです。」2コリント5:18〜21(聖書協会共同訳)
神が(パウロが、キリストに代わってお願いするほどになった)キリストを、罪となされた事実を私たちはどのように受け止めたらよいか考えてみましょう。