PDFダウンロード ルビ付きはこちらからご覧ください
第6課 大いなる国民がどこにいるだろうか 藤田昌孝
1.安息日午後
今週は、おもに申命記4章1節から9節までを学びます。
モーセはイスラエルの人々をつれて、カナンの地のすぐ近くまで来ました。イスラエルの人々のほとんどは、荒野で生まれて、荒野で育った、若者たちでした。彼らの親たちのほとんどは、荒野で亡くなっています。
そこでモーセは、まず、彼らの親たちが歩んできた歴史を語ります。その歴史を通して、親たちの間違いを繰り返さないように教えました。
そして4章からは、若者たちがカナンの地に入った後、どのように生活すべきかを教えます。そのためにモーセは、若きイスラエルに、神様からいただいた戒めを教えました。
2.日曜日:加えることも減らすこともしてはならない
申命記4:1では次のように語られています。
「イスラエルよ。今、わたしが教える掟と法を忠実に行いなさい。そうすればあなたたちは命を得、あなたたちの先祖の神、主が与えられる土地に入って、それを得ることができるであろう。」(申命記4:1)
その教えは、イスラエルの人々が幸いを得るために与えられました。
小さなお子様をもつご両親で、思慮深い方は、自分の子どもを正しく、しつけます。なぜならそれが、我が子を幸せにするからです。子どもの幸福を願って正しいしつけをほどこします。もし、親が子どもの言いなりになり、正しい指導をしなければ、それは子どもの将来を台無しにしてしまうかもしれません。神様の戒めもまた、人々に本当の幸いを与えるためのものでした。
続いて申命記4:2では次のように語られています。
「あなたたちはわたしが命じる言葉に何一つ加えることも、減らすこともしてはならない。わたしが命じるとおりにあなたたちの神、主の戒めを守りなさい。」(申命記4:2)
神様の戒めは、神様の国の原則です。または、神様のご品性を表しています。ですから、決して変わることはありません。無くなることもありません。永遠に変わらない真理です。
しかし、その戒めをサタンは変えようとしました。
エデンの園で善悪を知る木の実をエバに食べさせようとしました。神様の戒めは破ってもよいかのように、誘惑しました。また、安息日の戒めを無くして、日曜日に礼拝を行うように、多くの人々を誘惑しました。また、人間の言い伝えを神様の戒めに付け加えるように誘惑しました。
私たちは、神様の戒めを変えたり、減らしたり、加えたりしてはなりません。
3.月曜日:バアル・ペオル
申命記4:3~4には、次のように書かれています。
「あなたたちは、主がバアル・ペオルでなさったことをその目で見たではないか。あなたの神、主はペオルのバアルに従った者をすべてあなたの間から滅ぼされたが、あなたたちの神、主につき従ったあなたたちは皆、今日も生きている。」(申命記4:3~4)
バアルという偶像を拝む行為には娼婦と関係を持つことが含まれていました。また生まれたばかりの子どもたちを火で焼くという行為もありました。このような、最もいかがわしい儀式を、イスラエルの親たちも行いました。その結果滅びてゆきました。
ですから今、イスラエルの若者たちには、そのようなことが絶対無いように勧めます。真の神様以外のものを神としてはならないことを彼らに訴えるのです。
4.火曜日:あなたの主に従いなさい
火曜日では、もう一度、申命記4:4が取り上げられています。
「あなたたちの神、主につき従ったあなたたちは皆、今日も生きている。」(申命記4:3)
真の神様に従った人々は、皆生き延びました。しかしバアルに従った人々は全員滅ぼされました。つまり、そこには中間がありません。真の神様に従うか、他の神に従うか、のどちらかしかありません。現在、「私はどの神も信じません」という人がいます。無神論者です。しかし、この無神論者も、実は自分という神を信じているのです。
申命記4:4で言われている「主につき従った」という言葉は、「神様と一体となった」「神様と結婚した」という意味です。私たちは、神様と結婚しなければなりません。そうするならば、神様は私たちに力を与えてくださり、守ってくださいます。まちがっても、別の神と浮気をしたり、結婚したりしてはなりません。
5.水曜日:大いなる国民がどこにいるだろうか
水曜日では、申命記4:5~9までが扱われていました。
4:6には次のように書かれています。
「あなたたちはそれを忠実に守りなさい。そうすれば、諸国の民にあなたたちの知恵と良識が示され、彼らがこれらすべての掟を聞くとき、『この大いなる国民は確かに知恵があり、賢明な民である』と言うであろう。」(4:6)
神様の戒めは、人間が創られた初めの頃の姿を表していました。人間が一番幸せな時の状態です。神様は、人間も、この世界も、初め頃の姿にもう一度戻したいと願っておられます。それを回復といいます。それを救いといいます。
ところが世の中は、罪のために、この最初の頃の姿をうしなってしまいました。
そこで神様は、イスラエルの人々にその美しい姿を取り戻させ、世の中の人々に模範として示そうとされました。
6.木曜日:あなたたちの知恵と良識
申命記4:6では、神様は諸国の民にイスラエルの知恵と良識が示されるように願われました。それは単なる紙に書かれた知識ではありません。それらの教えが実行され、ひとりの人間の行いとなり、習慣となり、生き方となり、その人の人格になるとき、それは知恵と呼ばれ、良識と呼ばれます。それが諸国に大きな影響を与えることになるのです。
7.金曜日:さらなる研究
現在、次のような考えがひろがっています。「どの宗教も、どの神も、行きつくところは同じ神。登山口は数あれど、頂上は一つ。だからどの宗教でもよいから、信仰をもつことが大事なのだ」。しかし、聖書はそのようには語りません。
「あなたはわたしのほかに、なにものをも神としてはならない」(出エジプト20:3)。と語るのです。
また、多くのプロテスタント教会は「十戒は廃された」と語ります。だから、安息日も廃された、と語ります。
それは間違いで、神様の戒めは、永遠に変わることはありません。セブンスデー・アドベンチストは、安息日を守ることによって、神様の戒めが永遠であることを、表してゆくのです。