安息日学校部

第5課 聴覚しょうがい者用:小濱守宏

2021年第1期「イザヤ」(わが民を慰めよ 

PDFダウンロードルビ付きの原稿はPDFからご覧ください

第5課 いと高き平和の君 小濱守宏

1.安息日午後

今週のテーマは、平和です。

暗唱聖句にイエス様は、「平和の君」であり、私たちに平和を与える「驚くべき指導者」として働かれると書かれています。

世界の歴史を調べてみると戦争と争いばかりです。原子爆弾を作った有名な科学者のオッペンハイマーや爆弾の元であるダイナマイトを発明したアルフレット・ノーベルは、自分たちが発明しつくったものが戦争に使われて、大勢の人が死んで行ったのを見て、平和がいかに大切であるかに気づきました。

そしてノーベルは、平和な世界となるようにノーベル平和賞という仕組みを作りました。しかし、戦争や争いは、今も続いています。戦争と争いを止める事のできるイエス様について調べてみたいと思います。

 

2.日曜日:ガリラヤの辱めがおわる(イザヤ8:23~9:4〔 口語訳9:1〜5〕)

ダビデ王やソロモン王までは、イスラエルは一つの国でしたが、ソロモン王の子供であるレハブアムの時代に王国が分裂してしまいました。北イスラエルと南ユダに分かれて戦争をしていました。北イスラエルと隣の国ダマスコは同盟を作って、アハブ王が治めている南ユダに戦争を仕掛けました。驚いたアハブ王は、アッシリア帝国に助けを求めました。アッシリアは、北イスラエルの同盟軍に勝ちました。そして、アッシリア帝国は、ガリラヤ地方を占領して多くの苦しみを人々に与えました。

イザヤは、北イスラエルとダマスコの同盟軍を恐れるなとアハブ王に言いましたが、アハブ王は信用しませんでした。

その結果、北イスラエルのガリラヤ地域がアッシリアによって占領されましたが、約730年後イエス様がガリラヤ地方で苦しんでいる人々を助け解放しました。これは、イザヤの預言がイエス様を通して成就した事を聖書は、教えてくれる出来事でした。

聖書は、イエス様が平和を与えるために来られた事を教えてくれています。

 

3.月曜日:ひとりのみどりごが生まれた(イザヤ9:5、6〔 口語訳9:6、7〕)

「ひとりのみどり子」とはイエス様を指しています。イエス様は、驚くべき指導者、力ある神、永遠の創造主、そして、平和の君です。そのようなイエス様を妬んでサタンは、世の中を混乱と嘘の世界に導きますが、永遠の平和を作り出すイエス様は、決して負けません。

私たちは、サタンの嘘をあばくためにおいでになったイエス様を信じ続けます。

 

4.火曜日:神の憤りの杖(イザヤ9:7〜10:34〔 口語訳9:8~10:34〕)

神様は、私たちを最高のタイミングと方法を使って天国に導いてくださいます。

しかし、人間は、自分の都合のいいように生活したいのです。神様が示す生き方が自分にあっていないと感じると従いたくないのです。そんな時も神様は、私たちが幸せに生活できるように預言者を通して、アドバイスを与えくださいます。そして、私たちの返事を待ってくださいます。

人が自分勝手な歩みをする時、神様は、その結果がでるまで様子を見る時があります。神様は、人間が自ら招いた苦しみという杖を使って人の罪を悟らせ、立ち返るようにお導きになります。

 

5.水曜日:根と枝は一つ(イザヤ11章)

神様は、エッセサイの息子であるダビデの子孫から救い主がお生まれになると言われました。エッサイの根とは、切り株が段々と腐って無くなっていくようにダビデの子孫が段々と力を失って滅んでしまうように見えても、そこから若枝のように救い主が与えられる事を分りやすく説明されました。

ダビデの父エッサイは、ルツの孫です。神様は、ずいぶんと昔から平和を与える計画をもっていていた事を人々に伝えたかったのです。

また、人々が安心するために強大なアッシリアも神様の力によって滅ぼされ、そして、色々な場所に住んでいる神様の民が集められ平和に暮らす事ができる事を伝えました。

この11章は、救い主がお生まれになる(初臨)と、民が呼び集められる(再臨)の二つの希望を与えてくれます。

 

6.木曜日:わたしを慰められた(イザヤ12:1〜6)

12章は、神様の優しさを感じる時に、私たちが感謝の思いを伝える良いお手本となる箇所です。

イエスという名前は、「主は、救い」という意味があります。イエス様は、平和を作り出しますが、イエス様を知れば知るほど、辛い環境や苦しい問題の中でも、私たちの心は、平和な思いにみたされます。

なぜなら、私たちは、イエス様の十字架によって既に救われているので慰められるのです。

 

7.まとめ

今週の学びは、平和を与えてくださるイエス様について学びました。木曜日に学んだコリント第2の手紙5章21節(新改訳)を見てみますと「神は、罪を知らない方を、私たちの代わりに罪とされました。それは、私たちが、この方にあって、神の義となるためです。」と書いてあります。

将来、私たちに与えられる平和(再臨)や現在与えられている心の平和も、父なる神さま、又、私たちの身代わりとなられたイエス様の深い愛が土台なのです。

深い大きな愛を学んだ私たちは、毎日の生活で嫌な事、つらい出来事があっても、乗り越えるための希望を見つけられます。この希望をもって与えられた1日を歩んでいきたいと思います。