第5課 神の愛の怒り 関谷修一
1.安息日午後
[暗唱聖句]
しかし神はあわれみに富まれるので、彼らの不義をゆるして滅ぼさず、しばしばその怒りをおさえて、その憤りをことごとくふり起されなかった。(詩篇78:38、口語訳)
「神は愛です」(Ⅰヨハネ4:16)。それなのに、「そのとき地は揺れ動き、・・・主がお怒りになったからです」(詩18:7、口語訳)という聖書の言葉を読むとき、私たちは驚きます。愛の神が、お怒りになられているからです。
しかし、イエスも悪に対して怒りをあらわされたことがありました。また聖書は、神の正しくふさわしい怒りについて何度も教えています。なぜなら神の怒りは、神の愛を別な形で教えるものだからです。
2.日曜日:悪によって悲しむ
[詩編78:38]
神は憐れみ深く、罪を贖われる。彼らを滅ぼすことなく、繰り返し怒りを静め/憤りを尽くされることはなかった。
罪人である人間は神に逆らい、時には自分の子どもを偶像の神に生けにえとして捧げるなど、たくさんの悪いことをしてきました。そんな人間も、敵に責められたりして苦しくなると神に救い求めたのです。しかし、神に助けてもらって楽になると、また神から離れて悪を繰り返していきました。
悪は、神が愛する人々を傷つけ、神と人を悲しませます。そのために、神は悪に対してお怒りになられます。それでも神は、決して自分勝手に怒ることはされません。罪人である私たちを救うために、「繰り返し怒りを静め」(詩篇78:38)て、限りない愛を示してくださいます。
3.月曜日:怒ること遅き神
[ヨナ4:1、3]
ヨナにとって、このことは大いに不満であり、彼は怒った。・・・わたしの命を取ってください。生きているよりも死ぬ方がましです。
ニネベの町が滅びなかったとき、ヨナは怒りました。でも、神は「かわいそう」と思われたのです。神は思いやりが深く、愛で満ちている方だからです。
ヨナの物語は、神が怒ることに遅く、忍耐深い方であることを私たちに教えます。人間は怒りやすいものですが、神は違います。それどころか、神ご自身が十字架に架かり、罪人である私たちのために身代わりとなってくださいました。十字架は、神が怒るに遅いこと、忍耐深く、恵みに満ちた愛のお方であることの証拠です。
4.火曜日:義憤
[マタイ21:12-13]
それから、イエスは神殿の境内に入り、そこで売り買いをしていた人々を皆追い出し、両替人の台や鳩を売る者の腰掛けを倒された。そして言われた。「こう書いてある。『わたしの家は、祈りの家と呼ばれるべきである。』/ところが、あなたたちは/それを強盗の巣にしている。」
イエスの時代、神の恵み深い赦しと、罪人の救いを表すはずの神殿と礼拝が、最も弱い人々をだまし、商売人がもうけるために使われていました。それをご覧になったときにイエスは、神の愛する人々をだまし、神の心を傷つける商売をしていた人々に対して怒りを表されました(マタイ21:12)。これを「義憤(正しい状態から外れたことに対する怒り)」と言うことができるでしょう。
神の怒りは、愛である神にとって正しい表現です。なぜなら愛は、大切な人々が傷つけられることに黙っていられないからです。
5.水曜日:神は進んで苦しめられることはない
[哀歌3:32-33]
主の慈しみは深く/懲らしめても、また憐れんでくださる。人の子らを苦しめ悩ますことがあっても/それが御心なのではない。
ユダヤの人々が何度も繰り返して神を捨て、偶像の神々に仕える決断をした結果、神は人々を敵の手に「渡された」(略奪されるがままにされた)という聖書の話があります(士師2:13-14)。人々が、神を信じない生き方を自分で選んだので、神は悲しみながらも彼らの自由にお任せになったのです。「(人々が)もはや手の施しようがなくなった」(歴下36:16)あとのことでした。
神は、進んで私たちを苦しめるようなことはされません(哀歌3:32-33)。神の怒りは、いつでも罪との戦いの中で、ご自分の愛するものたちを護り、救い出すために悪に向けられています。
6.木曜日:憐れみを示す
[ローマ12:19]
愛する人たち、自分で復讐せず、神の怒りに任せなさい。「『復讐はわたしのすること、わたしが報復する』と主は言われる」と書いてあります。
私たちが人間関係の悩みや、傷つけられた痛みのために眠れない夜を過ごすとき、神は「復讐はわたしのすること、わたしが報復する」と言ってくださいます。神が私たちの代わりに、サタン(私たちの敵)と戦ってくださるのです。神は私たちの味方です。この方にお任せしましょう。
そして、「神は、わたしたちを怒りに定められたのではなく、わたしたちの主イエス・キリストによる救いにあずからせるように定められたのです」(一テサロニケ5:9)。イエス・キリストによって私たちの罪は赦され、神の怒りではなく、救いの恵みに生きることができるようになりました。同じ様に、私たちも他の人々と共に赦し、赦され、救いの大きな喜びの中へ歩んでいきましょう。
7.金曜日:さらなる研究
「イスラエルの人々は、反逆罪を犯した。しかもそれは、彼ら(反逆したイスラエルの人々)に豊かな恵みを賜わった天の王に対してであった。彼ら(反逆したイスラエルの人々)は、自分から進んで、その王の権威に従うことを誓っていたのであった。天の統治を維持するためには、反逆者に罰を与えなければならない。ここにおいても、なお、神の憐れみがあらわされていたのである。神は、律法を維持されるとともに、選択の自由、すなわち、すべての者が悔い改める機会をお与えになった。反逆しつづける者だけが、殺されたのである。」
(『人類のあけぼの』第28章「シナイでの偶像崇拝」)
<話し合いのための質問>
★「復讐は私のすること」と神は言われます。この御言葉に信頼して、いつも感謝のうちに人生を歩むための秘訣は何でしょうか。