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第5課 人との和解——十字架と教会 池増 益男
1.安息日午後
旧約聖書の時代もイエス様の時代も、イエスラエルの神を信じた外国人(ギリシャ人やローマ人たち)は割礼を受け、ユダヤ教に改宗して同じ神を礼拝することができました。しかし、礼拝する場所は違いました。ユダヤ人の男性たちは神殿の内庭、ユダヤ人の女性は中庭で、外国人(異邦人)たちは外庭でしか礼拝できなかったのです。つまり聖所(至聖所)から最も離れたところから同じ神を礼拝したのです。ユダヤ人と外国人(異邦人)との間には隔ての壁、すなわち差別があったのです。
パウロは、エフェソ2:11〜22で、キリストの十字架はこのような隔ての壁を打ち壊し、ユダヤ人と外国人(異邦人)の関係を劇的に変えたと言っています。今週はキリストの十字架を通して神と人の間に、そしてユダヤ人と外国人(異邦人)が国籍を問わず同じ神の民、聖なる神殿(教会)の一部となるという素晴らしい教えを学びます。キリストこそは教会に祝福に満ちた最高の一致をもたらす唯一のお方であることを学びたいと思います。
2.日曜日:キリストにおいて近い者となった
「さてあなたがたは、先には自分の罪過と罪とによって死んでいた者であって、かつてはそれらの中で、この世のならわしに従い、空中の権をもつ君、すなわち、不従順の子らの中に今も働いている霊に従って、歩いていたのである。また、わたしたちもみな(パウロをはじめユダヤ人も)、かつては彼らの中にいて、肉の欲に従って日を過ごし、肉とその思いとの欲するままを行い、ほかの人々と同じく、生れながらの怒りの子であった。」(エペソ2:1〜3 口語訳)とあるように、ユダヤ人も異邦人も罪の性質を持ち、サタンの支配のもとで、肉欲のままに、自己中心の生活を送っていたにも関わらず、神の恵みを忘れると、異邦人を「無割礼の者」(エペソ2:11 口語訳)、「イスラエルの国籍がなく、約束されたいろいろの契約に縁がなく、この世の中で希望もなく神もない者」(エペソ2:12 口語訳)と差別し、ばかにしていたのです。人間は本当に自分勝手で愚かな罪人です。
このようなユダヤ人と異邦人の間にあった溝を埋めて、いやすことを可能にしたのは十字架の愛の犠牲です。キリストの十字架こそはユダヤ人と異邦人の間だけでなく、現在の私たち教会の中にも存在する不和を解決する唯一の方法です。
「ところが、あなたがたは、このように以前は遠く離れていたが、今ではキリスト・イエスにあって、キリストの血によって近いものとなったのである。」(エペソ2:13 口語訳)
3.月曜日:和解ーー十字架からの神の賜物
パウロはエフェソ2:11〜22の中で十字架が信徒にもたらした三つの大きな祝福を述べています。
(1)神と神の民から「遠く離れていた」異邦人は「近いもの」とされ(エフェソ2:13)、今や神の息子、娘、ユダヤ人信徒と同じ兄弟姉妹となったのです(同2:19)。
(2)ユダヤ人と異邦人の信徒の間にあった「敵意、憎しみ」は十字架によって「滅ぼされました」(同2:16参照)。
(3)「敵意」の代わりに、十字架を通してユダヤ人と異邦人が一つの体として神と和解し、またお互いも和解できるようになったのです(同2:16)。
皆様の家族の中に、あるいは教会の中に、一つの出来事をきっかけにお互いに語ることも、顔を合わすことも避け、長い間仲たがいしている人がいらっしゃるとしたら、そのような二人が心から赦しあい、仲直りをすることができるなら、これは奇跡ではないでしょうか? 壊れた人間関係が癒やされる奇跡はキリストの十字架の愛によって自分の罪が神に赦され、神と和解させていただくとき、初めてお互いに赦し合うことができるようになります。
4.火曜日:隔ての壁を取り壊す
問3 パウロは、キリストは「規則と戒律ずくめの律法」に対してどんな行動を取られたと言っていますか。なぜキリストはこのような行動を取られたのでしょうか(エフェソ2:14、15参照)。
ある人々は、この「規則と戒律ずくめの律法」は安息日を含む十戒であるとし、キリストは十字架によってこの律法を「廃止」されたと言います。しかし、この文章の流れの中でよく読むと、それはユダヤ人と異邦人を遠ざけ、同じ神を信じる異邦人を同じ場所で一緒に礼拝できないようにしていた敵意と数々の規則と戒律を廃棄されたことであることがわかります。
5.水曜日:イエスーー平和の福音を告げ知らせる者
問4 エフェソ2:17、18で、パウロはキリストの宣教の働きをどのようにまとめていますか。
「キリストはおいでになり、遠く離れているあなたがた(異邦人)にも、また、近くにいる人々(ユダヤ人)にも、平和の福音を告げ知らせられました。それで、このキリストによってわたしたち両方の者(ユダヤ人とギリシャ人)が一つの霊に結ばれて、御父に近づくことができるのです。」(エフェソ2:17、18)
キリストはユダヤ人と異邦人の間にあった「敵意」を取り除かれただけでなく、お互いの間に仲直りと平和を回復されました。ですから十字架の福音は、神と人との間に、また人間同士の間に真の平和と一致をもたらす素晴らしい良い知らせです。そしてこの平和を経験したクリスチャンは、憎しみや不和で苦しむ人々にキリストの平和の福音を伝える使者としてキリストから遣わされるのです(エフェソ6:14、15; ローマ10:14、15参照)。
6.木曜日:聖なる神殿である教会
- もう一度エフェソ2:11〜18の内容を復習しておきましょう。
(1)1〜10節・・・キリストなしでは、私たちは自分の過ちと罪のゆえに滅んでいく存在です。憐れみに富む神は私たちを罪と死の運命からキリストによって救い出し、キリストと共に新たに生きるものとされたのです。ですから、私たちはキリストから離れてはなりません。いつもキリストと共に生きるのです。そのとき私たちは神の新しい作品として神に喜ばれる生活ができるのです。
(2)11〜18節・・・神はキリストの十字架を通して、ユダヤ人信徒と異邦人信徒を隔てる数々の規則と戒律の誤用を打ち砕かれました。
- 十字架を通して一つとされたユダヤ人信徒と異邦人信徒はさらにどうなると言っていますか?
(1)私たちは外国人でも寄留者でもなく、同じ聖なる国民、神の家族です(2:19)。
(2)使徒や預言者という土台の上に建てられた霊的な聖なる神殿であり、その隅のかしら石(かなめ石 新共同訳)はキリストご自身です。さらにキリストにおける、霊の働きによる神の住まいであると言っています(2:20〜22)。つまり、私たちクリスチャンは聖霊が宿っている生きた神の宮となるのです(1コリント3:16〜17参照)。
自分の過ちと罪の中で、サタンの支配のもとで肉欲のままに生きていた罪人が、キリストの十字架の贖いによって、聖霊が宿られる生きた神の住まいになるとはなんという驚くべき大きな恵みではないでしょうか。
7.金曜日:さらなる研究
私たちは今週、ユダヤ人信者と異邦人信者がキリストの十字架の犠牲と復活によって一つにされ、神の聖なる宮になって神の栄光を表すということを学びましたが、エフェソ人への手紙のテーマはもっと広く大きな目的を持っています。それはこの地球上のことだけでなく、サタンが宇宙にもたらした神への不信を取り払い、再び宇宙のすべてのものをキリストにおいて深い一致に回復するという大きな計画です。その働きがこの地上の教会から全宇宙に発信されているというのですから驚きですね(エフェソ3:10参照)。
これからの学びも楽しみです。