第5課 安息の与え主イエス 1月29日
1.安息の場所
①イスラエルの子らが、エジプトの奴隷の境遇から、約束の地まで荒野をさまよっていた時、主の彼らのための願いは、どんなものでしたか? 出エジプト記33章14節。
②イスラエルの子らがついにカナンに入った時、彼らのための神様の計画はどんなものでしたか? ヨシュア記1章13節。
③どんな種類の安息を、主は、イスラエルの子らと、今日の私たちの生活のために、願っておられますか?
④安息日は、私たちの造り主であり、解放者である主に、安息を見いだす必要を覚えるために、いかに助けとなりますか? 出エジプト記20章8~11節、申命記5章12~15節。
2.約束された安息に入るのに失敗して
①ヘブライ人への手紙3章12~19節。何が、イスラエルの子らのほとんどが、約束された安息に入るのを妨げましたか?
②カナンの土地を偵察するために送られたイスラエルの子らの12人の代表の中で、ヨシュアとカレブだけが、主の約束を信じることを選び、主の安息に入りました。彼らの経験から、何を学ぶことができますか? 民数記14章6~9節。
3.神様の安息に入る招き
①ヘブライ人への手紙4章6~11節。
②なぜ、「今日」が、私たちそれぞれの生活の中で、このように重要な瞬間なのですか?
③なぜ、神様の安息に入るために、勤勉さが要求されるのですか?
④他の機会まで、延ばすことをせず、今日、どんな献身が必要とされていますか?
⑤私たちがしなければならないと知っている献身をする上で、葛藤していたとしても、どんな助けが、私たちそれぞれに与えられていますか? ヘブライ人への手紙4章16節。
⑥私たちには弱さと不完全さがあるにもかかわらず、主が、ご自分の安息に私たちを歓迎してくださる、ということを、いかに確かに信じることができますか? ヘブライ人への手紙4章15節。
⑦私たちは、いつ、究極の安息を経験しますか? ヘブライ人への手紙11章13~16節。
4.神様にあって安息する私たちの必要を思い起こさせてくれるもの
①出エジプト記20章8~11節、申命記5章12~15節、ヘブライ人への手紙4章8~11節を比べてください。一見、毎週安息日を守りながら、主にある安息を経験することに失敗する可能性があります。その悲劇的な失敗を、いかに避けることができますか?
②「私は、ただ、主にあって、休んでいます。安息日にそうする必要はありません!」という人に、いかに、応答しますか?
③主が、新しい天と新しい地とを造られた後の最初の安息日を想像してみてください。その特別な安息日に、あなたは、どのように、時間を過ごしますか?