2022年第1期「終わりの時代に生きる」
第4課 私たちの忠実な兄弟イエス 松本 裕喜
- 今週のポイント
- 律法には買い戻しの権利が定められていたことがレビ記25章からわかります。買い戻しの権利とは、親戚の人が次の三つの事態に遭遇した時に、近親者が果たすべき義務のことです。1)親戚が産業を失った時にこれを回復する義務(ルツ記はこのパターン)。2)親戚が捕虜または奴隷になった時に買い戻す義務。3)親戚が殺された時、その復讐をする義務。この制度によって、一つの家庭が消滅しないようにするという素晴らしい仕組みです。ちなみに、「買い戻し」を意味するヘブル語の「ゴエル」には「贖い」という意味もあります。イエスは私たちの贖い主だと言われますが、それはイエスが人となってくださったからこそ可能であり、イエスは私たちの近親者です。もしイエスが栄光のうちに、まさに「神!」という形でこの世に来られたら、私たちの罪の「贖い」にはならず、私たちをサタンから「買い戻す」こともできません。
- 問3の聖句を読みましょう。モーセはヘブライ人でしたが、エジプトの王子でした。その立場のままのんびりと過ごしても良かったのですが、彼はそれを選ばずに、同胞のために人生を捧げました。イエスも同じように、神であるにもかかわらず人となって、私たちの救いのために命を捧げてくださいました(フィリピ2:5-8)。
- イエスは人となられたので私たち人類の代表であり、人類代表として罪に勝利してくださったので、イエスを信じる人はイエスの勝利を自分のものとすることができます。「イエスがどの程度私たち人間と同じだったのか?」という問題がありますが、それについてはガイド30ページをよく読んでおきましょう。1)イエスは完全に人間でした。2)しかし、罪に関しては私たちとは違いました。「もしイエスが私たちのようであったなら、彼にも救い主が必要でした。しかしイエスは、救い主としておいでになり、私たちのために御自身を、『きずのない』犠牲として献げられたのです」(30ページ)。
- イエスは私たちの救いのために十字架の死という苦しみを経験されました。その犠牲は私たちを救うためには十分なものでした。また「イエスは苦しみを通して従順を学ばれました」。神であるイエスは人から従順を受ける存在でしたが、人となられたことで神に対して従順に生きられました。またイエスが憐れみ深いお方であることは、イエスが十字架での苦しみを自ら受けられたことからわかります。
- イエスは人となられたことで、私たちに正しい生き方を示し、私たちと共に人生の先頭を走ってくださいますから、問6の聖句が示しているようにイエスを見つめて人生を走りましょう。イエスの生き方に倣いましょう。神への信頼が必要です。なぜならイエスが人となって神に信頼して生きたからです。私たちには尚更のことではないでしょうか。
- ディスカッションのためのテーマ
- 私たちはどうすればキリストをもっと近しく感じることができるでしょうか。
- 私たちは日々の選びの中に神への信頼をどのように表すことができるでしょうか。
- 私たちの人生における苦しみの果たす役割について更に考えてみましょう。