2022年第3期「試練を共にされるキリスト」
第4課 金細工職人の顔を見る 朴 昌
- 天地創造の時点で人間は神の栄光を表す者であり、その心には神の品性がありましたが、罪によって神の栄光を失い、神の品性は破壊されました。神が人を試練に遭わせることをお許しになるのは、人の心に神の品性が回復されるためです。そのことを今週は、金が火で精錬されるという例えを使って説明しています。
- ヨブは試練の中にいる時、試練の意味を理解することはできませんでしたが、この試練が自分をどこに導くかを知っていました。それはヨブの内に神の品性が回復されるという目標でした。そしてヨブ自身が試練によって清められるという神の目的も理解していたようです。試練の目指す目標は神の品性の回復と人の清めであることは覚えておく必要があります。しかも人を清める方法は、金が火で精錬されるように、私たちにとって簡単な方法ではなされないようです。
- 問4の質問を考えてみましょう。「油」を「品性」という意味に捉えて「10人のおとめ」のたとえを読んでみましょう。また詳しい解説として金曜日のページも読みましょう。問5の質問も考えてみましょう。私たちは恵みにより、信仰によって救われましたが、救われて終わりではなく、救われた者は聖霊によって変えられるはずですから、私たちの心の状態は良くも悪くも行いに出てきます。これは素晴らしいことであり、恐ろしいことです。
- 終わりの時にはかつてないほどの悩みの時がやってきます。そのような時に「目覚めた人々は悟る」とダニエル書12:10は述べています。御言葉によって悩みの時が来ることを知り、その目的と意味、神の品性の回復と私たちの清めのために神がそれを許されていることを知っている人は、試練の中にあっても神を信頼し、神にしがみつくでしょう。反対に、試練の中にあって神を呪う人、また試練の目的や意味を頭で理解しているだけで神に信頼しない人は、試練の中でも自分をかわいそうだとばかり思い、ふてくされて神と人を呪い続けて、結果的に神に逆らう者となり、永遠の命を失う結果になるでしょう。
- 「私と神との間のことは個人的なことですから話したくありません」という言葉は、最近は教会内でしょっちゅう聞かれますし、腫れ物に触るかのような感じで他者の信仰の状態に距離を置くような傾向があると思います。確かに神と人との個人的な交わりの大切さは何度言っても言い過ぎることはありませんが、神との交わりを持っている人が集まったらどれほどの力になるかと考えたことがありますか? 個人では倒れそうな時にも、皆で支え合えばしっかりと立つことができるはずです。問7の聖句を読みましょう。キリストに向かって成長し、惑わしの多い時代に誤った教えに惑わされることなく、愛によって一つになることができます。「教会という共同体は、教会の中にキリストの品性が深く宿っているはずです。その時に初めて私たちは本物の証人となるでしょう。世界中がバラバラに崩壊しているときに、このように異なるさまざまな多くの人々を愛のうちに一つに結びつける力を説明するにあたって、神の超自然的力意外に他に説明できるものがあるでしょうか?」(副読本49頁)。
- ディスカッションのためのテーマ
- 「品性を養う」とは何を意味するのでしょうか。品性の形成はあなたの生活、あるいはあなたの教会で、どれほど重要なこととして実践されていますか。
- 「品性とはその人が陰でどのような人間であるかである」と言われます。だれも見ていない時のあなたはどのような人間でしょうか。その答えから、あなたは何を変える必要があるでしょうか。
- 私たちは、イエスにある信仰のみによって救われているのに、なぜ品性の形成は大切なのでしょうか。キリストの義と完全な品性が私たちを救うとすれば、品性の形成はなぜ必要なのでしょうか。