PDFダウンロード ルビ付きはこちらからご覧ください
第4課 休みのコスト 松田 健
1.今週のテーマ
今週のテーマの中には、とても考えさせられる言葉がありました。「真の休みにもコスト(代価)がかかります。」実際に私たちは、「平安と休息」を得るために「代価」を払っています。色々なコストをかけて真の休息を得ようとしています。しかしそれでも人は真の休みを見出せないでいる。
アウグスティヌスの『告白』の中にある言葉は、全ての現代人に必要な言葉でしょう。「神は人を神御自身のために造られた。ゆえに神の中に休みを見出すまでは、我々の心に休みはないのだ。」このことを彼は、「神の恵み」と表現しています。恵みとは対価を超えた憐れみを注ぐ行為です。今週は私たちが、休みを得るために支払ってきたコストと神様の与えて下さる神の恵みとを比較する機会となるのではないでしょうか。
2.日曜日:疲れ果てて
ダビデの心境について、サムエル記下11:1~27までを読んでから考えてみて下さい。一連のダビデの心境内には「平安」という文字があったでしょうか?
ガイドのp28にも書かれていました。「ダビデは、神の律法に背くやいなや、すぐに彼の人生のすべての面で、その結果を感じ始めます。」その後、自分の部下の妻を妊娠させてしまったことで彼の心境は益々落ち着かなくなるものになっていったことでしょう。その時に、ダビデがとった方法は罪の隠蔽でした。
人間はおかしくも愚かな存在です。神が全知全能であられることを知りながらも隠蔽したり、ごまかしたりすることで「平安と安息」を得ようとします。しかしその結果はむしろ逆で不安と恐れしかないことはわかるでしょう。
3.月曜日:目覚ましの電話
今週の学びの中で、最も私たちの心を揺さぶる問いかもしれません。「わたしは主に罪を犯しました。」と答えたのはなぜだったのでしょうか? 考えてみて下さい。
神様が遣わされた預言者ナタンによって、ダビデが知らずに自分自身の死刑宣告下していて、「その男はあなただ」(サム下12:7)と告げられたことは、彼にとってどの様な告知だったでしょう。
「預言者の譴責は、ダビデの心を感動させた。良心は目覚めた。彼の罪がどんなに憎むべきものであるかが明らかにされた。彼は、神の前に悔いくずおれた。彼は、くちびるをふるわせて言った。『わたしは主に罪をおかしました』(サムエル記下12:13)。他人に対して犯した悪事は、すべて害を受けた者から神へとさかのぼるのである。ダビデは、ウリヤとバテシバの両方に恐ろしい罪を犯したことを痛感した。しかし、神に対する罪は、それより無限に大きかったのである。」(『希望への光』p376)
なぜ「預言者の譴責は、ダビデの心を感動させた」のでしょうか? 考えてみましょう。
4.火曜日:赦され、忘れ去られる?
まずは詩篇51:3〜8をじっくり読んで、瞑想して下さい。
そしてサムエル記下11章からの流れで考えてみて下さい。ダビデがしたことを神様がお赦しになられたことは、私たちにどんな希望があるでしょうか?
バト・シェバに生まれた赤ちゃんの死は、イエス様の十字架を表していると言われます。この箇所は人間には理解できない程の贖いの計画です。以前に「自分が犯した罪なのに何故、罪のない幼な子が身代わりなんて理解できない。」と言われたことがあります。ダビデが憐れみを求めて祈った祈りは、神を動かし、ダビデを救いました。
5.水曜日:新しいもの
「クリスチャンの人生のすべての勝利は、私たちによりません。すべてイエスによるのです。イエスの臨在を慕い求め、イエスの霊を切望し、イエスの救いの喜びを求めるのです。私たちは新生と回復を必要とし、神の再創造によるイエスにある安息を必要としています。」(ガイドp31)
ダビデはバト・シェバを自分のものとした時、自分の実力を過信し、罪に陥りました。詩篇51:9~10を読んでみると、そこには以前のダビデと違った姿があります。このダビデの姿勢から学ぶ姿があります。
6.木曜日:神の光を映す者たち
私たちが過ちを赦していただく経験は、私たちの証となりますし、神の栄光となります。
「恵みの御業をこの舌は喜び歌います。」(詩篇51:16〈口語訳51:14〉)、また「彼らは、玉座の前、また四つの生き物と長老たちの前で、新しい歌のたぐいをうたった。この歌は、地上から贖われた十四万四千人の者たちのほかは、覚えることができなかった。」(黙示録14:3 新共同訳)とあります。
今回学んだダビデの経験をそれぞれが自分自身の経験と照らし合わせて瞑想する機会が今週与えられているのでしょう。そして詩篇51篇と1ヨハネ1:9とのつながりについて、じっくり考えてみましょう。
7.金曜日:さらなる研究
「話し合いのための質問」❷❸❹について話し合い、聖書から答えを得ましょう。