安息日学校部

第4課 聴覚しょうがい者用 池増益男

2025年第1期「神の愛と正義
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第4課  神は情熱的で憐れみ深い    池増益男

1.安息日午後
[暗唱聖句] 女が自分の乳飲み子を忘れるであろうか。母親が自分の産んだ子を憐れまないであろうか。たとえ、女たちが忘れようとも/わたしがあなたを忘れることは決してない。(イザヤ 49:15、新共同訳)

★神の愛には感情は含まれないのでしょうか? 暗唱聖句(イザヤ49:15)は、神が母親のような深い愛情(感情も含まれる愛)で私たちを憐れんでくださるとあります。もちろん神様は感情だけで行動を起こされるのではありません。完全な善と完全な知恵を持って私たちを助け、導かれます。

2.日曜日:母親の愛以上のもの
この地上で神の愛に最も近いのは母親のわが子に対する愛だと言われますが、神の愛はそれ以上であることが、「女たちが(乳飲み子を)忘れようとも/わたしがあなたを忘れることは決してない。」(イザヤ 49:15)と表されています。
時々、自分の幼い子供を暑い夏に車の中に置いたままにしたり、あるいは暴力を振るって殺してしまう悲しい事件が起こります。エレミヤ31:20によれば、神は、神に逆らい反抗する者でも、「かけがえのない息子」「喜びを与えてくれる子」として諦めることができないと言っておられます。神の胸は張り裂けそうな(とても悲しくて泣いている)のです。ああなんと愛情深い神でしょう。

3.月曜日:はらわたを引きちぎられるような愛
神から離れて偶像礼拝(霊的姦淫)を繰り返すイスラエルの民に対する変わることのない神の無限の愛を明らかにするために、神は預言者ホセアに「堂々と姦淫を繰り返す女と結婚せよ」と命じられます。その女にはすでに他の男性たちの子供もいます。ホセアとの結婚後も他の男性を求めて家を出て行きますが、神はホセアに彼女を迎えに行きなさいと言われるのです。ホセアは彼女と離婚もできません。ホセアは周りの人たちからどんな目で見られたことでしょう。どんなに辛く悲しい思いをしたことでしょう。実はこのホセアの苦しみこそ、イスラエルの民に裏切られ、ズタズタにされる神の愛の心そのものでした。それでも神はこう言っておられます。「ああ、わたしのエフライム(=イスラエル)。どうして、あなたを捨て去ることができよう。どうして見放せよう。・・・何としても、あなたたちを助けたい。」(ホセア11:8 リビングバイブル)

4.火曜日:イエスの憐れみ
昨日は旧約聖書の中から、神に罪を繰り返し続け、滅びの寸前にまできていたイスラエルの民に対する神の計り知れない(大きな)愛の叫びについて学びました。
今日は新約聖書における同じような(神さまの大きな愛の)場面を見てみましょう。エルサレムの滅亡(町ばかりでなく、多くのユダヤ人がローマの軍隊によって滅ぼされる恐ろしい時)が近づいていることを知って、イエス様が彼らのために泣かれた場面です。
「エルサレム、エルサレム、預言者たちを殺し、自分に遣わされた人々を石で打ち殺す者よ、めん鳥が雛を羽の下に集めるように、わたしはお前の子らを何度集めようとしたことか。だが、お前たちは応じようとしなかった。」(マタイ23:37)
イエス様の心は愛の無念さで引き裂かれて(愛が伝わらなくて悲しくて悲しくて)、どれだけ涙を流されたことでしょう。

5.水曜日:熱情の神なのか
聖書の神は、「憐れみ深い神」(申命記4:31)であると同時に「激情を引き起こす神」(詩篇78:57)と記されています。新共同訳の「激情」は、口語訳では「ねたみ」と訳されています。
十戒の第二条には「どんな形(偶像)をも造ってはならない。それ(偶像)にひれ伏してはならない。それに支えてはならない。・・・主であるわたしは、ねたむ神であるから・・・」とあります(出20:4,5 口語訳)。神は、私たちが創り主である神から離れて偶像に仕える時、激しいねたみを起こされます。もし妻が夫以外の男性と仲良くなり姦淫したら、妻を愛していない夫だったら、憎んで離婚するでしょう。しかし妻の幸せを心から願う愛情深い夫(神)は、妻が他の男性(偶像/サタン)に夢中になるのを見ると「ねたみ」を起こされるのです。神は私たちを深く愛し、「あなたはわたしのものだ。あなたをサタンのものにさせたくない。わたしのところに帰ってきなさい。わたしは必ずあなたを取り戻し、救いたい」という神の情熱が「ねたみ」という人間の感情で表されているのです。

6.木曜日:憐れみ深く、情熱的な
クリスチャンは神から深い憐れみを受けた者として、家族、友人、隣人に対して愛を表すようにパウロはすすめています。「愛は忍耐強い。愛は情け深い。ねたまない。愛は自慢せず、高ぶらない。礼を失せず、自分の利益を求めず、いらだたず、恨みを抱かない。不義を喜ばず、真実を喜ぶ。すべてを忍び、すべてを信じ、すべてを望み、すべてに耐える。愛は決して滅びない。・・・」(1コリント13:4〜8)
どうしたらできるでしょうか。愛の源であられる神様の前で謙遜に祈り求めましょう。
①「神様、私の中には愛がありません。あなたの愛を私の心に注いで満たしてください。」
②「神様、あなたが私を愛し、赦してくださったように、私も〇〇さんを赦し、親切にできるように創り変えてください」
③「神様、あなたの約束(Ⅰテサ3:12、13)を信じて行動できるように、聖霊によって私の心を強めてください。」

7.金曜日:さらなる研究
「心の貧しさを深く感じ、自分のうちに何もよいものがないと感じるすべての者は、イエスを見上げることによって、義と力を見いだすことができる。イエスは、『すべて重荷を負うて苦労している者は、わたしのもとにきなさい』と言われる(マタイ11:28)。」(『希望への光』1127ページ、『祝福の山』の「祝福」の章)
★上の文章にあるように、あなたは自分の愛の無力さを感じたことはありませんか? イエス様を見上げ、祈ることによって神の愛と義と力をいただいた経験などをグループで話し合ってみてください。