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第4課 旧約聖書の希望 柳 鍾鉉
1.安息日午後
今週私たちは、旧約聖書の時代に、最終的な復活の思想がどのように解き明かされたかを、特にヨブと詩編記者の言葉、そしてイザヤとダニエルの預言に焦点を当てて考えます。
2.日曜日:「わたしは神を仰ぎ見るであろう」
ヨブ19:25〜27を読んでください。ヨブは無垢な正しい人で、神を畏れ、悪を避けていた善人でした。そのようなヨブにも試練がありました。その試練は自らの誕生を悔やむほど耐えられない苦しいものでした。ヨブはそのような試練の中で、肉体を伴って神を仰ぎ見る神への信仰を表しました。「これは紛れもなく復活を垣間見ることです」(『SDA聖書注解』第3巻549ページ)。ヨブは悲劇のただ中でも神への輝かしい希望を見出したのです。なんと素晴らしい復活信仰なのでしょうか。
3.月曜日:陰府の手から
詩編49編を読んでください。愚かな者はこの世で財宝を頼みとし、富の力を誇り、自分の名を付けた地所を持っていても死ぬときに何の希望なしに滅ぶ者たちのことです。詩篇53:1(口語訳)で「愚かな者は心のうちに『神はない』と言う」とあります。命の根源者である神を否定する者は自分の存在までも否定することになるので愚かなのです。神は私たちがこの世で一人も滅びることなく悔い改めて救われることを望まれます。ですから私たちは愚かな者にならないで知恵ある者になり、神から輝かしい永遠の報いを受けることができるのです。
4.火曜日:「地の深い淵から」
詩編71編を読んでください。詩編記者は、神が過去にどのように彼を守られたかを思い起こし、慰めと保証を見いだします。神は岩、砦であり希望なのです。自分が幼い時から信じ、頼り、希望をかけている神は「地の深い淵から」でも引き上げてくださることのできるお方であります。詩編記者は、確かに死んでからも復活に預かることができると復活信仰を現しています。もし私たちの信仰がこの世に限られたもの、すなわち、復活のない信仰であるならば私たちは最も惨めな者となり、神への信仰も無駄になります。
5.水曜日:「あなたの死者が命を得」
イザヤ26:14、19を読んでください。永遠に滅びる者たちと永遠の命を受ける者たちがあると書かれています。では、誰が永遠に滅び、誰が永遠に生きられるのでしょうか。その基準は何で、誰がそれをお決めになるのでしょうか。イザヤ書は、神の無限と人間の有限を対比しています。私たちは枯れる草、しぼむ花のような者ですが、神のみ言葉は永遠に残ります。この言葉に永遠に生きる答えがあります。それは、神のみ言葉(キリスト)を受け入れ、生きることです。
6.木曜日:塵の中に眠る者たち
ダニエル書12:1〜3を読んでください。旧約時代の人々は私たちと同じように死者の復活に希望を持っていました。「大いなる君」ミカエルの姿が出てきます。ミカエルはキリストを表していると考えられています。このミカエルであるキリストは義人の復活と悪人の滅びに深く関わっています。ダニエル12:2(口語訳)「また地のちりの中に眠っている者のうち、多くの者は目をさますでしょう。そのうち永遠の生命にいたる者もあり、また恥と、限りなき恥辱をうける者もあるでしょう」。主イエスは愛する者を亡くして悲しんでいるマルタに対してはっきりと告げられました。「わたしはよみがえりであり、命である。わたしを信じる者は、たとい死んでも生きる」。あなたはこのキリストの言葉を自分のものにしますか?
7.金曜日:さらなる研究
神は全知全能なるお方です。神は創造主なのです。神は無から有を創られました。神に不可能なことはありません。宇宙を創造された神は、死者の復活に際しても同じようにして再創造してくださいます。問題は、それをあなたが信じるか信じないかです。信じる者は永遠に輝く人生を生きられます。