2021年第1期「イザヤ―わが民を慰めよ」
第3課 あなたの世界が危機に直面するとき 朴 昌
- 今週のポイント
- 今週は悪い王でも約束なさる神様について学びます。
- 神様は悪い王であるアハズにも、預言者イザヤを送って勇気と慰めの言葉を与えてくださいました。しかしそれにも関わらず、アハズ王は神様より、他の国の王に頼る間違った選択をします。危機に直面した時に彼は、人間的な考えで、神様より、人の力の助けを求めました。ある意味で王として政治的な選択をしたかも知れません。しかし、彼はイザヤの言葉を聞いて何より神様を選択する道が与えられました。しかし、彼はそれを拒んだわけです。なぜなら、彼の心の中には神様はどうでもよかったからです。実は彼はすでに民全体を偶像礼拝させ、最も悪い王の一人だったからです。
- アハズ王は人間の目には大きく見える敵の力を見ましたが、神様において彼らは「燃え残ってくすぶる切り株」に過ぎませんでした。いくら人間の目に大きく見える障害物でも、神様の目には最も小さなものに過ぎません。ですから、アハズ王はその敵から守られるために、アッシリアに助けを求める必要はありませんでした。むしろ正しい決定を下すために、主と主の約束に信頼すべきでした。神様は私たちが直面している危機や問題などより、はるかに大きくて、偉大なお方です。それゆえ、何より神様に助けを求める必要があります。
- イザヤの言葉を拒んだアハズ王に対して憐れみ深い神様は、新たな機会として、しるしを求めるように告げられます。それはアハズの信仰を高めるためでした(サム上10:7, 9参照)。しかし、彼は神様を試すことはできないと言い、そのしるしを求めませんでした。彼は表面的には謙遜のように見えますが、実は神様を信じないため、離れているためにそのように答えただけです。私たちが神様に何かを求めることは、決して神様の煩いになりません。むしろ何も求めない、頼らないことが神様の煩いになります。
- 神様が求めるように命じられたしるしは、「神われらと共にいます」という意味のインマヌエルでした。おそらくそれは悪い王であるにも関わらず、神の民を守ろうとする神様の愛だったと思います。イザヤ時代にはそのインマヌエルが誰なのかは明かされませんが、乙女マリアから生まれたイエス様が、究極的にそのインマヌエルになられました。
- インマヌエルは、「神様が私たちと共にいる」という約束です。その約束が大切な理由は、これほどの安心と慰めがないからです。神様は私たちに試練と苦難がないとは話されませんが、しかし私たちがどんな状況であっても、共にいると約束なさいます。