安息日学校部

第3課 聴覚しょうがい者用:花田憲彦

2021年第3期「キリストにある休み」 

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第3課  不満の根  花田憲彦

1.安息日午後

ポプラの木は、地中に大きな根を広げます。その根は、たとえ木が枯れても、地中で何千年も生き続けるそうです。私たちをイエス様から引き離すのは、私たちの罪ですが、それは木の根のように表にあらわれてくるものではありません。しかしそれは、私たちが気づかないうちに心の中に根をはるだけではなく、周りの人々にも悪い影響をもたらすものとなります。

 

2.日曜日:イエスは分裂をもたらす

「平和の君」(イザヤ9:5/口語訳9:6)であるイエス様は、マタイ10:34~39で、「平和ではなく、剣をもたらすために来た」(聖書協会共同訳)と、びっくりするようなことを言われました。イエス様は、神の国に入るにふさわしい資質が何であるかを私たちに教えてくださっているのです。つまり、イエス様をいつも第一にすることの大切さです。あなたは愛する親よりも、愛する家族よりも私を愛しますか、という愛の招きです。私たちが、本当に父と母を愛し、隣人を愛するためには、私たちがいつもイエス様を第一にする生き方が必要です。イエス様を愛さない人が、家族や隣人を愛することはできないからです。

でも、私たちが何よりもイエス様を第一にしようとする時、犠牲にしなければならないものがでてきます。それは、お金やモノや時間であったり、あるいは自分自身の欲望であるかもしれません。でも、それでも「イエス様を愛します」と、イエス様に従おうとすることが「自分の十字架を担ってキリストに従う」ということなのです。そしてその生き方こそが、私たちに本当の安息をもたらす道なのです。

 

3.月曜日:利己心

おそらく、私たちからキリストにある平安を奪う最もやっかいな罪の一つは、「利己心」です。ルカ12:16~21のたとえ話を読んでみましょう。この金持ちの間違いは何だったのでしょうか? この箇所で目立つ言葉があります。英語の聖書で読むとそれがよく分かるのですが、「MY」(私の)という単語です。私の作物、私の倉、私の穀物、私の食糧、私の魂と5つも出てきます。「私」ばかりです。他の人のことも神様のことも、この人の心の中からは消えています。利己心にとらわれ、かんじんの天国に宝を積むことを忘れてしまっていたのです。

フィリピ2:5~8を読んでみましょう。ここには、徹底的にへりくだり、人に仕えられたイエス様の姿が描かれています。この金持ちの生き方とは正反対です。でも、神によって高く上げられたのは、イエス様のほうでした。ここに私たちに対する警告があります。利己心は私たちを滅ぼし、謙遜は私たちを高く上げるのです。

 

4.火曜日:野心

ルカ22:14~30には最後の晩餐の場面があります。この直前にイエス様が弟子たちの足を洗われた場面をヨハネが記録しています。足を洗うのは奴隷の仕事でしたが、その場には十二弟子とイエス様しかいませんでした。つまり、だれかがだれかの足を洗わなければなりませんでした。でもだれも奴隷の役割を引き受けようとしなかったのです。しかも、そしてそこで交わされた会話は、自分たちのうちでだれが一番偉いかというものでした。そんな時、イエス様が自ら奴隷と同じ格好をして、ペテロの足を洗い、仕える者としての模範を示されたのです。

マタイ18:3でイエス様は、「はっきり言っておく。心を入れ替えて子供のようにならなければ、決して天の国に入ることはできない」と言われました。人と比較して、勝ち続けることによって自分自身の存在価値を得ようとする生き方に本当の平安はありません。自分を高めようとする野心は、私たちの罪の性質から出てきます。この価値観から解放されるには、新しくつくり変えられる必要があるのです。子供のように素直な心で主に信頼し、心を主に明け渡しましょう。

 

5.水曜日:偽善

マタイ23章には、当時の宗教指導者たちの偽善に対するイエス様のけん責の言葉があります。彼らの問題は、「言ったことを実行せず、他人だけに厳しい宗教的基準を要求して自分には適用せず、自分の宗教的熱心さを他人が称賛するように求め、天の父なる神にのみ属すべき誉れと賛美を自分たちに求める」という点にありました。実はこれらの偽善的な性質は、彼らだけの問題ではなく、私たち自身の中にもみられる罪の思いであることを謙遜に認める必要があります。

しかし、そのような律法学者やファリサイ派の人々に対しても、イエス様は憐れみをもって接し、執り成しておられたということを心に留めたいと思います。

 

6.木曜日:不満を根絶する

私たちの心は、分裂、利己心、野心、偽善……そのような罪によって乱され、平安が奪われます。しかし、真の安息は、道であり真理であり命であるイエス様から始まります。「心を騒がせるな」と言われたイエス様は、私たちが真に憩うことのできる場所を用意しておられます。それは、天の御国ですが、もっと言えばそれは、イエス・キリストご自身です。「背信の子らよ、立ち帰れ。わたしは背いたお前たちをいやす」と呼びかける主の愛に、「我々はあなたのもとに参ります。あなたこそ我々の主なる神です」(エレミヤ3:22)と告白し、その招きに応えたいと思います。

 

7.金曜日:さらなる研究

教会員の間に起こる問題について、ホワイト夫人は「もし、誇りと利己心が取り除かれれば、たいていの問題は、五分間で解決する」(『初代文集』125ページ)と書いておられます。死に至るまで従順に歩まれた主を見上げつつ、主の御姿につくり変えていただけるよう、日々、自分自身を主に明け渡し、聖霊の臨在を祈りましょう。

 

<質問>

私たちの内に渦巻く罪の思いを聖霊によって示される時、それを謙遜に受け止め、心から悔い改めることを主は求めておられます。あなたには、悔い改めを妨げようとする思いはありませんか。もしそうであれば、どのように対処したらいいのでしょうか。