安息日学校部

第3課 聴覚しょうがい者用:柴田 寛

2021年第4期「申命記に見る現代の心理」

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第3課  永遠の契約  柴田 寛

1.安息日午後:今週のテーマ

創世記(聖書66巻の最初の書)に登場する“永遠の契約”は、黙示録(聖書66巻の最後の書)に登場する“永遠の福音”と見事につながっています。“永遠の福音”は、イエス様の再臨を迎える前に、私たちが全世界にのべつたえるべき福音のメッセージですが、その中身は、この世界に罪が入り込む前から約束されていた、驚くべき救いの約束であり、それは神様の一方的な愛によって結ばれた契約なのです。私たちは、神様のこの大きな愛にどう応えたら良いのでしょうか。

 

2.日曜日:契約と福音

なぜ、神様が結んで下さった契約(救いの約束)が福音(グッド・ニュース)なのでしょう。それは、その救いの条件が、「私(神)をただ信じれば良いのです」というものだからです。【問1】の聖句を確認して下さい。それらに共通するメッセージは、「私(神)を信じるなら・・・祝福します」というものです。アブラハムはその通りに信じて義とされた(神様に良いと認められた)人の代表であり、全ての人のお手本です。

 

3.月曜日:ネヘミヤの祈り

【問2】の聖句は、イスラエルの民がいよいよ約束の地カナンに入っていくにあたり、まず、そこに住みついている巨人(アナク人)たちを追い払わねば入っていけなかったのですが、その戦いに神様が介入し、勝利を与えて下さるという約束です。しかし、「あなたは、『わたし(イスラエルの民)が正しいので、主はわたしを導いてこの土地を得させてくださった』と思ってはならない。」(申命記9:4)とあるように、その勝利はイスラエルの民の正しさとは無関係に、神が先祖たち(アブラハム、イサク、ヤコブ)に約束されたことに対して忠実であられるから、与えられるのだと言われました。ここに、私たちの功績(何かをなしとげたかどうか)とは無関係に降り注ぐ、神の恵みを見ることができます。“永遠の契約”とは“恵みの契約”なのです。

では、イスラエルの民に求められていたことは何でしょうか。それは、この神の恵みや神の忠実さを知った民として、どのように神に応答し、どのような関係を保ちながら生活すべきかを、世にあかしすることでした。

 

4.火曜日:契約の書

申命記5章は、約束の地カナンにいよいよ到着する寸前の民に、40年前にさずかった十戒の内容を、モーセが再び語り聞かせている場面です。それは“永遠の契約”と、その契約への民の態度を再認識させるためのものでしたが、申命記5章3節の、「主はこの契約を我々の先祖と結ばれたのではなく、今ここに生きている我々すべてと結ばれた」という言葉は、その“永遠の契約”が、文字通りすべての時代のすべての民に対して結ばれた契約であることを認識させるものです。事実、“永遠の契約”は、世界が存在する前に、すでに天で立てられていたものでした。つまり、もしこの地球が、サタンによって支配されるようなことになれば、その時は、神とキリストが大きな犠牲を払ってでも、この世を取り戻すという約束だったのです。その約束に対して、私たちはどう応えるべきでしょうか。それは、「わたしをおいてほかに神があってはならない」(申命記5:7)という一言につきるのではないでしょうか。

 

5.水曜日:神の特別な民

歴史上にかつて存在した国で、今は遺跡となってしまった国がいくつもあります。それらがどんな国だったのか、その全てを知ることはできませんが、一つ確かなことは、真の神に従うことのない国であったということです。そのような国は、この罪の影響下にある世では、いつか自滅してしまうのです。そのような中にあって、神は特別な民を興されました。それは天地を造られた神との契約の中に生きる民、すなわち神の掟(十戒)を守り、サタンの声ではなく、神の声に従う民です。【問6】の聖句をじっくり味わって下さい。神の声に従うということが、いかに安全で祝福に満ちたものであるかを。神はそのような忠実な民を、「宝の民」として下さるのです。この祝福は“永遠の契約”であり、今も変わりません。「今すぐ」その一員となるようにと、主は招いておられるのです。

 

6.木曜日:他のたとえ

今週は「契約」という言葉を何度も耳にしましたが、一般的に「契約」という言葉がもつイメージは良いものではありません。なぜならそれは、「もし破ったら、損をするのはあなたです」という無感情で冷たいものだからです。でも、神様が私たちとの間に結んで下さった契約は、そのようなものではありません。それは、ちょうど親が、子供たちの健やかな成長を願って色々と準備するように、神が私たちの霊的成長を願って、用意して下さったものだからです。申命記14章1節の呼びかけに注目して下さい。「あなたたちは、あなたたちの神、主の子らである。」“永遠の契約”とは、このような子を思う神の愛からあふれ出た恵みなのです。

 

7.金曜日:さらなる研究

テキスト26ページに記されていた「捕らわれの精神」とは、律法を自分の力で守ろうとする精神です。ここには感謝も喜びもなく、ただ苦痛か自己満足のどちらかがあるだけです。しかし、“永遠の契約”に表された、神の愛を理解した者は、「すべての戒めを守るであろう」(申命記26:18)と言われています。それは神の永遠の愛への感謝と讃美にあふれた自然な応答なのです。主は、このような、捕われていない民が大勢あらわれることをお望みです。その民との間には、神との深い愛情で、絆が結ばれているからです。

 

【話し合いのための質問】

①信仰さえあれば、神の律法など守る必要はない、という声が聞こえてきますが、あなたもそう思いますか?

②申命記26:16~19を読んで、主の「宝の民」とは、どのような人たちか、話し合ってみましょう。

③神様と深い愛情の絆を結びたいですか? そのためにはどうしたら良いと思いますか?