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第3課 カインと彼の遺産 松枝重則
1.安息日午後
創世記3章でアダムが罪を犯した後、土は呪われ、アダムとエバは追放されました。追放後に長男が与えられましたが、長男のカインは最初の殺人者になってしまいました。その後、レメクも罪を犯し、寿命は縮まり、悪が増加しました。創世記4章の悪い事件は全て創世記3章の罪の呪いの結果です。しかし、全ての希望が失われたわけではありませんでした。
2.日曜日:カインとアベル
創世記4章1,2節には、
アダムとエバは長男のカインが生まれた時、救い主が生まれたと期待して喜びました(創世記4章1節)。
アベルが生まれた時はそんなに喜ばなかったようです(創世記4章2節)。
カインの名前には貴重なものを「獲得する」という意味があります。アダムとエバはカインが生まれたことによって救い主を獲得したと思っていたのでした。
アベルという名前には「息」、「蒸気」、「空しさ」という意味があります。アベルの名前の意味からも、アベルは救い主として期待されていなかったようです。
3.月曜日:二つの献げ物
アベルは神の教えに従い、動物の焼き尽くす献げ物と野菜を献げました。アベルは救い主を信じる「信仰」によって血の献げ物を献げたので、献げ物は受け入れられました。
カインは神の教えに従わず、「土の実り」だけを献げました。カインは自分の作った野菜を献げて救いを得ようとしました。つまり、カインは「行い」によって救いを得ようとしたのです。
献げ物自体に価値はありません。献げ物には霊的な意味があります。献げ物はイエス・キリストを表しています。
アベルは救い主を信じる「信仰」によって犠牲の動物を献げたので、神に受け入れられました。
4.火曜日: 犯罪
カインは自分で作った食べ物で救いを得ようとしたため、カインの献げ物は受け入れられませんでした。(創4:5)。カインは受け入れられないので怒りましたが、神は怒りません。神はカインを悔い改めと救いに導くために質問と助言を与えられました。
質問:どうして怒るのか(6節)という神の質問は、神がアダムに働きかけた質問と同じです。神は質問をして、カインが正しいことをするように導こうとされました。神はカインを悔い改めに導いて、正しい道に戻って欲しいと願われました。
助言:「お前はそれを支配せねばならない」(7節)という神の助言は、カインに自制を求めています。自制とは感情や欲望を抑えて、信仰によって正しいことを行うことです。
5.水曜日:カインに対する罰
神は全てをご存じのお方です。しかし神は「お前の弟アベルは、どこにいるのか」とカインに尋ねました。神はアベルに悔い改めのチャンスを与えています。
アダムが罪を犯し、「どこにいるのか。」(創3:9)と神に質問された時、アダムはエバのせいにしましたが、罪を犯したことは認めました。しかし、創世記4章のカインは神の質問によって悔い改めることなく、自分の罪を認めることもしませんでした。
カインは自分の罪を認めず、悔い改めなかった為に、神の「御顔から隠されて」さすらう者となりました。神はカインを悔い改めに導いて救おうと何度も質問し助言を与えました。しかし、カインが最後まで神の助けを拒んだために、カインは神の前から出ていかなければならなくなりました。神の御顔から隠されて生きるとは、神の守りと祝福から離れることを意味します。カインが神から離れていったのですから、どうしようもないことですが、それでも神はカインが殺されないように「しるし」(創4:15)を与えられました。どのようなしるしかは分かりませんが、人類で最初の殺人者に対しても神は最後まで哀れみ、守りを与えられる愛の神であることが分かります。
6.木曜日:人の邪悪さ
カインの残した遺産は悔い改めない心です。特にカインから5代目のレメクは犯罪者として、全く悔い改めない生き方を受け継ぎました。
カインとレメクの違い:
- カインは自分の犯した罪に対して沈黙を守った。レメクは自分の犯罪を自慢した。
- カインは神に憐れみを求めた。レメクは憐れみを求めなかった。
- 神がカインのために7回復讐されるなら、レメクのためには77倍復讐されるだろう、とレメクは勝手に言った。
- カインは一夫一妻を守った。レメクは一夫多妻をした。
カインの子孫の罪は深まるばかりです。
そのような中でアダムは再び子を授かりました。アダムはセトを授かりました。セトの子孫がノアです。
カインの子孫とセトの子孫が分かれて住んでいる時は問題ありませんでしたが、セトの子孫を意味する「人の子」がカインの子孫を意味する「人の娘たち」と結婚し始めて、人類は誤った方向に進むことになりました。
罪は必ず堕落へと導きます。あらゆる面で神に頼らなければ、私たちも最後には必ず罪に飲み込まれてしまいます。
7.金曜日:さらなる研究
「エノクは神と共に歩み」という表現は、神との親密な日々の交わりを意味します。エノクは毎日神と共に歩むことで、神と個人的な関係を持っていました。エノクは神と共に歩み、警告の言葉に耳を傾ける者には誰にでも神の使命を伝えました。そして、エノクは生きたまま天に上げられたのです。
世の終わりに生きる私たちもエノクのように神と共に歩み、福音を伝えるならば、再臨の時に神は必ず私たちを天に引き上げて下さる、と希望を持つことができます。
振り返りの質問:
今週はカインと彼の遺産を学びました。創世記3章で罪が犯されてから、罪は確実にほとんど全ての人を罪のとりこにしてしまいました。私たちも同じように罪を犯し、罪の世の中に生きています。ノアの時代に殆ど全ての人から悔い改めの心がなくなってしまっていました。サタンは確実の勝利を収めていました。現代の世の中もサタンが確実に勝利を収めているように見えます。多くの人が神を信じなくなってしまっていても、エノクは神の救いを述べ伝えたので生きて天に上げられました。エノクの「神と共に歩む」を具体的に考えてみましょう。私たちは神と共に歩んでいるでしょうか。どのような点で神と共に歩んでいると言えるでしょうか。また、神と共に歩んでいないと思える点があるでしょうか。それはどのようにすれば神と共に歩むことに繋がるでしょうか。