第2課 モーセによる歴史の教訓 仲泊 大輔
- 今週のポイント・今週のテーマ
私達は、歴史によって過去の出来事とそこから得られる教訓を学びます。加えてクリスチャンが歴史を学ぶ時は、そこに表されているイエス・キリストを知ることが最も大切です。申命記に表されているイエス・キリストの姿をたくさん知ることができますように。
・日曜日
罪が赦される唯一の方法は、その人の代わりに誰かが罪を背負うことです。それがイエス・キリストの十字架です。私達もキリストに従う時、自分の罪ではないことを背負う場合があると思います。モーセは執り成しを願い出ましたが、実際に彼がイスラエルの民の罪を背負うことはできませんでした。それはモーセもイスラエルの民や私たちと同じく罪人であったからです。その人の罪が赦されるために代わりに罪を負うことを考える時、イエス・キリストと協力して私たちにできることは何でしょうか?
・月曜日
申命記1:3には第40年という記述がありますが、これはイスラエルの民が約束の地に入る前に40年間放浪するという預言の成就を表しています。神様の預言は正確であり、必ずその通りになります。アドベンチストは特にダニエル書の2300の夕と朝の預言を、再臨直前の時代に生きる自分たちにとって重要であると考えますが、その預言の中心もイエス・キリストであることがわかります。
・火曜日
聖書は組織化を肯定しており、むしろそれを望んでいます。それは祝福が一部の人にとどまるためではなく、広く行き渡るためです。組織化の問題点はほとんどの場合、一部の人がその祝福を自分たちだけに留まらせようとすることです。しかし、神様のご支配を模範とする組織化はむしろ祝福を広げてくれるのです。
・水曜日
モーセの祈りは人によっては、ずるい祈りのように感じるかもしれません。それは、ここでイスラエルの民を殺したら神様ご自身の名誉に傷がつきますよ? という祈りだからです。しかし、モーセの祈りは人間のずるさから出た言葉ではありません。民数記14:18でモーセはこの祈りの根拠をかつて神様が語られた御言葉に置いています。モーセ自身がどれだけ神様の憐れみに信頼していたかがわかります。モーセの祈りはむしろ神様の思いの代弁とも言えます。神様はモーセ以上にイスラエルの民を愛しているのです。
・木曜日
聖書は神様の命令によって滅ぼされた国があることをはっきりと書いています。聖書は神様のことを都合よく表現したりはしません。そして、それらを納得できるように説明することが難しいことも事実です。しかし、それは私たちの人生でも同じです。納得できないことがある中でも、神様の言葉に信頼すること学ぶ時、私たちのうちには真の信仰が芽生えるのではないでしょうか。大変なことではありますが、そのために祈りましょう。
・金曜日
私たちが理解に苦しむ事柄は、神の義と愛がこの罪の世界においては異質なものであるからでしょう。その義と愛はイエス・キリストの十字架ではっきりと表されました。それは神の愛と憐れみによって義人は復活し、神の義によって罪は滅びることでした。
ノアの洪水、カナン人の滅び、私たちが直面している理解し難い事柄も注意深く見る時、そこにはイエス様の十字架に示される義と愛が見えるのではないでしょうか。
- ディスカッションのためのテーマ
- あなたが理解に苦しんでいることはありますか? もしくは理解できなかったことに聖書が光を投げかけてくれた経験はありますか?