安息日学校部

第2課 聴覚しょうがい者用:柳 鍾鉉

2021年第3期「キリストにある休み」 

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第2課 不安と反抗心 柳 鍾鉉

1.安息日午後

暗唱聖句:これらの事が彼らに起こったのは、他に対する警告としてであって、それが書かれたのは、世の終りに臨んでいるわたしたちに対する訓戒のためである。(1コリント10:11 口語訳)

 

今週私たちは、人間の感じる不思議な不安について学びます。それは堕落した人類の根本的な罪深さによるものであり、キリストが、信仰と服従によって彼に来る者すべてにお与えになる平安を拒ませるものです。

 

2.日曜日:荒れ野での不満

民数記11章にはイスラエル人の荒野での食べ物に対しての神への不満が書かれています。イスラエル人は、エジプトの肉、きゅうり、メロン、ねぎ、たまねぎ、そしてにんにくを懇願しました。神はイスラエル人に天からマナを降らせてくださり、一年以上彼らを養いました。彼らの中に誰も天からのマナを食べてお腹を壊したり、病気になった人はいないほど完全な栄養食でした。しかしマナに食べ飽きて不満を抱いたイスラエル人は神に別のものを求めました。それに答えて神は一ヶ月もうずらを送りイスラエル人を食べさせました。彼らの不満は解決されたのでしょうか。

 

(問)あなたは何かに不満を感じたことがありますか。あなたはそれをどのように解決されますか。

 

3.月曜日:不満―この伝染しやすい悪

民数記12章にはモーセの実の姉兄であるミリアムとアロンのモーセに対する不満が書かれています。彼らは、モーセがクシュの女性ツィポラを妻にしたことで非難しました。しかし、彼らの訴えは口実であって、本当はモーセのリーダーシップに対する挑発でした。神はモーセへの攻撃を扇動したミリアムに重い皮膚病にかかるようにしました。アロンはミリアムのために神に嘆願し、モーセは彼女のためにとりなしました。神は彼らの祈りを聞き入れ、ミリアムを癒されました。

 

(問)あなたは職場の上司や教会の牧師に対する不満を抱いた事がありますか。それは他の同僚たちに対してどのような影響を与えましたか。

 

4.火曜日:不満は反逆を引き起こす

民数記14章にはイスラエルの人々が夜通し声をあげて叫び、泣き言を言いながら神に不満を口にしました。その理由は、カナンの地から帰って来た12人の斥候たちの報告を聞いたからです。ヨシュアとカレブは肯定的な報告をしたものの、残りの10人の斥候たちは否定的な報告をしたことでイスラエル人は大変恐れを感じ、神とモーセに反逆を起こしました。「不忠実な斥候たちは、口をきわめてカレブとヨシュアを責めた。そして、彼らを石で打てという声があがった。気の狂った群衆は石をつかんでこの忠実な人々を殺そうとした。」(『希望への光』201頁)

 

(問)不満は良い行動ではなく悪い行動へ導きますが、あなたはそれを断ち切るためにどのような努力をしますか。

 

5.水曜日:仲保者

民数記14章で起こったイスラエル人の反逆に対して、神は怒りを発して反逆の民イスラエル人を裁こうとしました。神とイスラエル人の間に立っていたモーセは神に向かって赦しを嘆願しました。「どうか、あなたの大きな慈しみのゆえに、また、エジプトからここに至るまで、この民を赦してこられたように、この民の罪を赦してください」(民14:19)。やがて、モーセの嘆願は聞き入れられました。それと同じように、キリストは神の御前でご自分の血をもって私たちのために嘆願しておられます。その仲保の働きのゆえに、私たちは赦されます。

 

(問)今まであなたは誰かのために神にとりなしの祈りをした事がありますか。そして、その祈りはどのように答えられましたか。

 

6.木曜日:「信仰」対「臆測」

民数記14章でモーセの懸命な嘆願によって赦されたイスラエル人は神の裁きに対して心からの悔い改めを示すことなく、うわべだけの誤りを認めただけでした。それはいつでもまた同じことを繰り返すことを意味します。イエスの再臨を目前に生きている私たちは過去のイスラエル人のように同じ過ちを繰り返さないためにも彼らを反面教師にして重要な教訓を学ばなければなりません。そして、神は私たちに全的な献身を求めておられます。中途半端な献身は死と滅びへと導きます。

 

(問)信仰に生きる人と臆測に生きる人の間にはどのような違いが見られますか。

 

7.金曜日:さらなる研究

信仰は決して独断的な信仰(臆測)と関係がない。真の信仰を持っている者だけが独断的な信仰(臆測)に対して安全である。なぜなら独断的な信仰はサタンから出た信仰の偽物だからである。

 

「信仰がなくては、神に喜ばれることはできない。なぜなら、神に来る者は、神のいますことと、ご自身を求める者に報いて下さることとを、必ず信じるはずだからである。」(ヘブル人への手紙11:6 口語訳)。