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第2課 運命の時 花田憲彦
1.安息日午後
ヨハネの黙示録は、14章と15章を境に前半と後半に分かれます。前半は終末を前にしての警告の訴え、そして後半は終末の到来とそれに伴う出来事の描写です。つまり、14章にある三天使のメッセージは、聖書全体を通しての最後の招きと訴えということになります。私たちは毎日の生活の中で、この主の招きに応えていく必要があります。それは、世の終りの最後の危機において行う選択に大きな影響をもたらすからです。
2.日曜日:永遠の選び
マタイ24章14節の福音が全世界に宣べ伝えられるという約束の言葉は、黙示録14章6節の第1天使のメッセージによって最終的な成就を見ることになります。福音宣教のメッセージは、今を生きる私たちに永遠につながる選択を迫ります。普段からみ言葉に忠実に歩む生活をしていないのに、最終時代の危機の時にだけみ言葉に従うようになることはあり得ません。私たちは日々の生活の中で絶えず御心の道を探り、御心の道を選択していく必要があります。神に従う訓練をすることは、日常生活の中で、今なされるべきことなのです。その日々の選びが、私たちの品性を形作っていくことになるからです。エレン・ホワイトはこう勧告しています。「イエスは再臨の時に人の品性をお変えにはならない。品性の改変の働きは、今なされなければならない。私たちの毎日の生活は、私たちの運命を決定しているのである」(『終わりの時代の諸事件』284ページ)。
3.月曜日:人の子が戻られる
黙示録14章14節にはイエス様の再臨の様子が描かれていますが、「人の子」という表現が使われています。福音書を調べると、イエス様は82回、ご自身のことを「人の子」と呼ばれました(マタイは30回使用しています)。これはイエス様が好んで用いられた称号の1つですが、救い主であるイエス様は、私たちと同じ人となられ、私たちの経験する誘惑を受けられ、私たちの遭う試練を乗り越えられた私たちの友であるという側面が、この表現に表わされています。私たちを天の御国に連れ帰るために再臨される「人の子」は、私たちを贖うために人となられ、そして悪の力に打ち勝たれた勝利者なのです。
4.火曜日:天の裁き
使徒言行録1章9節から11節の約束は、黙示録14章14節において成就します。聖書の他の箇所と同様、「人の子」という表現は、キリストの再臨と結びついて使用されています。特に、ダニエル書7章9、10、13、14節を見ると、「人の子」は裁きの中心におられることがわかります。この裁きは、父、子、聖霊という三位一体なる神が、すべての人を救うために可能な限りのことをすべて行われたことを、全宇宙の前で明らかにします。私たちは今、イエス様と共に歩んでいるでしょうか。日々どのような選択をしているでしょうか。この裁きの光景は、私たちの現在の日々の歩みが問われていることを思い起こさせてくれます。
5.水曜日:勝者の冠
黙示録14章14節には、勝利者の冠をかぶったイエス様の姿が描かれています。そして手には鎌を持っておられます。鎌は収穫のための道具です。再臨のイエス様は何を刈り取るために来られるのでしょうか。それは、救われた者たちの魂であり、イエス様を救い主として信じ、従ってきた者たちの内面に実った御霊の実(ガラテヤ5章22,23節)、つまりイエス様のように変えられた品性です。「思考の種を蒔け。そうすれば行動を刈り取る。行動の種を蒔け。そうすれば習慣を刈り取る。習慣の種を蒔け。そうすれば品性を刈り取る。品性の種を蒔け。そうすれば運命を刈り取る」という言葉があります。私たちが日々、イエス様のことを思い、イエス様と共に歩み続けることは、永遠の命という栄光に満ちた運命の刈り取りに向かって行くことになるということを忘れないようにしましょう。
6.木曜日:すべての種は収穫をもたらす
黙示録14章には2つの刈り入れの光景が描かれています。今、蒔かれている様々な種が最終時代に実を実らせ、すべての種が収穫の時を迎えることになるのです。神の子らは、イエス様に似た品性を実らせ、悪の子らは、サタンに似た品性という実を実らせます。私たちは黙示録22章11節にある「不正を行う者には、なお不正を行わせ、汚れた者は、なお汚れるままにしておけ。正しい者には、なお正しいことを行わせ、聖なる者は、なお聖なる者とならせよ」という宣言を聞くことになります。聖霊の働きに心を閉ざし、イエス様の招きを拒んできた者たちを贖うことのできる恵みは、キリストの十字架以外には残されていないのです。
7.金曜日:さらなる研究
『各時代の大争闘』に書かれている預言の霊の勧告に耳を傾けましょう。「ながめることによって変化するということは、知的方面においても霊的方面においても1つの法則である。心は、いつも考えていることに次第に順応するものである。それは、日ごろから愛し尊敬しているものに、同化していくのである。人は、自分が立てた純潔、善良、または真理の標準よりも高きに達することは決してない。もし自分が最高の理想であれば、それ以上の高尚なものに到達することは決してできない。いや、かえって常に下へ下へと落ちていくのである。ただ神の恵みだけが、人間を高める力を持っている。人間は、そのままにしておけば、必然的に堕落していくのである」(『希望への光』1868ページ、『各時代の大争闘』下巻309ページ)。
★ 私たちは今、永遠の世界に向かってどんな種を蒔いているでしょうか。それは永遠の命という実をもたらす種でしょうか、それとも永遠の滅びという実をもたらす種でしょうか。誘惑の多い世界に生きている私たちが、今、正しい選択によってよい種を蒔くにはどうしたらいいのでしょうか。