安息日学校部

第13課 聴覚しょうがい者用:武田 将弥

2020年第3期「神のためにたくさんの友人をつくる」(喜びを他の人に伝える) 

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第13課 信仰による一歩 武田 将弥

 

1.安息日午後

聖書のお話にクリスマスの物語があります。イエス様が私たちの住んでいる地上に、人間となって生まれてきてくださったという、とても有名なお話です。しかしこのクリスマスのお話の意味や、イエス様の立場になって考えてみると色々なことが分かってきます。まずイエス様のおられる場所は「天国」ですから、宇宙で一番素晴らしいところです。しかし人間たちが住むこの地上は、罪の影響で喜びと悲しみが入り混じった、混乱した世界です。神様の目から見るとそんな世界に住む人間は不幸だし、神様のおられる天国よりも、この混乱した地上を愛してしまっている人間たちを、どうにかして救い出そうとお考えになったのです。そこでイエス様はご自分の国を離れて、困っている人や悲しんでいる人間たちを救うため、悪魔や悪い人がウヨウヨしている危険なこの地上へ来て下さったのです。

皆さんはイエス様のように、人を救うためなら自分が不幸になっても構わないと決心して、自分の愛する家族や全財産すべてを置いて、恐ろしい世界に何も持たずに飛び込むことはできますか? おそらく誰も出来ないですし、やりたくないと思います。でも神様は、地球に生まれたらひどい目に合うことを知っていましたが、私たちを心の底から愛しておられるので、この世界に生まれて来て下さったのです! だからイエス様の苦労を考えると、少しくらい神様のために何か恩返しをしなくては申し訳ないな…と感じてくると思います。

神様からのお願いは時として「嫌だなぁ、やりたくないなぁ」と感じる時があるかもしれませんが、そういう時はイエス様を思い出してみて下さい。きっとあなたの心にヤル気と勇気が湧いてくると思います。

 

2.日曜日:自己犠牲の愛

イエス様は神の子であり、全宇宙の支配者です。しかし人間を救うために神様のままの姿ではなく、私たちと同じ人間の姿で生まれて来てくださいました。もしもイエス様が神様の姿のままでこの地上に生まれて来られたとしたら、我々人類は罪のせいで神様とまともに向き合うことが出来ません。太陽に近づきすぎると死んでしまうのと同じで、神様があまりにも聖なる存在すぎて、罪に汚れた私たちは死んでしまうのです。もし死ななかったとしても、恐ろしさで逃げ出していると思いますし、話しかけられても恐怖心で神様の言葉はぜんぜん頭と心に入ってこないでしょう。だからイエス様は私たちのところまで降りてきて下さったのです。これは完全な自己犠牲の愛です。人間として生まれるだけでも有り得ないほどの犠牲なのに、私たちへの愛と救いを表すために、屈辱(恥をかかせること)と拷問(苦しみをあたえること)の死刑方法である「十字架」にかかって、私たちの代わりに死んで下さったのです。イエス様は凄まじい苦労と犠牲を払いましたが、その代わりとして多くの人の魂を救いました。

 

3.月曜日:献身の召し

12弟子のうち、ペテロやヨハネ、取税人のマタイがいます。

ペテロやヨハネはガリラヤ湖で魚を捕っている時に、そして取税人のマタイも同じように仕事をしていたら、ある日突然イエス様と出会って声を掛けられました。この人たちはイエス様と出会う前に噂を聞いていましたが、まさか自分にイエス様が話しかけてくるとは想像していなかったでしょう。なぜなら「自分みたいな人間は神様の目に留まることは無いだろうな」と、自分で自分自身のことを大したことのない存在だと思っていたからです。しかし神様の目には人間は宝物に見えていました。だからイエス様から「私と一緒に来ませんか?」と言われたとき、自分なんかが神様に必要とされているのだという事実を知り、凄まじい感動と感謝に包まれました。だからペテロやヨハネや取税人のマタイは何もかも捨ててイエス様に従ったのです。

 

4.火曜日:パウロ―神に選ばれた器

若い時のパウロは、イエス様を信じる者たちを迫害することに熱心な人間でした。

それが正しいと思っていたからです。しかし真実に気がついて悔い改めた後、物凄い伝道者に生まれ変わりました。他にも取税人、遊女、悪霊に取り憑かれた人など、神様のことを伝えるにはあまりふさわしくなさそうな人たちが、器として選ばれている事に注目して下さい。むしろ欠点の多かった人たちの方が、神様に救われた感謝の印として、伝道活動を頑張ったという事実があるのです。この人たちは喜びと感謝のパワーで伝道を頑張ったのですが、それだけ嬉しかったということです。爆発するような喜びと感謝の気持ちは、誰にも止められないものなのです。

 

5.水曜日:愛の要求

十字架でイエス様が亡くなる前に、ペテロは3回「主を知らない」と言ってイエス様を裏切ってしまいましたが、死から復活した後のイエス様から「私を愛しているか?」と3回、言い直すチャンスを与えられました。その時にイエス様は「私の羊を飼いなさい」とペテロに役目を与えられました。

これはイエス様との関係が終わってしまったのではなく、まだ続いているという祝福の印でもありました。

神様から何かお願いされることを大変に感じるかもしれませんが、逆に神様に「もういいです、あなたにはもう何も頼みません。」と言われることを想像してみて下さい。悲しい気持ちになってゾッとしませんか? 実は神様に何かお手伝いを頼まれるということは、必要とされているということなので喜ばしい事なのです。

 

6.木曜日:愛の誓い

イエス様と一緒に生きていくということは、神様の祝福を数え切れないくらいに受ける人生を送ることになりますが、苦労もたくさんすることになります。その理由は、イエス様がこの地上で生きておられた時、たくさんの苦労をなさったからです。神様の道を歩くと必ずサタンが邪魔をしに来るから、苦労をすることになります。しかし苦労することはほんとうの意味で不幸なのでしょうか? たしかに苦労はしたくないものかもしれませんが、神様から離れて生きていくことの方が不幸です。神様から離れるということは、天国から離れるという意味になるからです。もしこの世で100年くらい楽しく過ごせても、死んだ後で天国に入れなかったら意味がありません。逆に考えると100年くらいの苦労はしたとしても、天国で過ごす永遠の時間を幸せに過ごしたほうが幸福だといえるのです。

 

7.金曜日:さらなる研究

何か教会のためにお手伝いをしてみませんか。もちろん得意なことや苦手なことはあると思いますが、最初は苦手に感じたことも、慣れてくると楽しくなってくるかもしれませんし、意外な才能を発見するかもしれません。あるいは神様が才能を新たにプレゼントしてくださる事だってあります。あなたの無理のない範囲で何かを始めてみませんか? たとえば「神様のために、たくさんの友人をつくってみる」こととか…

 

★振り返りの質問★

神様はあなたに、何をするように言っておられると思いますか? 何をしたら神様が喜ばれると思いますか? もし何か思いついたなら、それを祈って実行してみましょう。