安息日学校部

第13課 聴覚しょうがい者用 佐藤 由歩

2022年第4期「永遠の命-死の起源、死すべき者、未来の希望

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第13課  裁きの過程 佐藤 由歩

 

1.安息日午後

「神をおそれ、神に栄光を帰せよ。神のさばきの時がきたからである。」(ヨハネの黙示録14章7節、口語訳)

あなたは「神の裁き」と聞いてどのような印象を持っていますか? 今週、私たちは世の終わりの裁きの主な3つの過程について学びます。再臨前審判、千年期の裁き、執行審判です。

 

2.日曜日:最後の審判

マタイによる福音書25章31節から33節を読んでください。

「人の子が栄光の中にすべての御使たちを従えて来るとき、彼らはその栄光の座につくであろう。そして、すべての国民をその前に集めて、羊飼が羊とやぎとを分けるように、彼らをより分け、羊を右に、やぎを左におくであろう。」(口語訳)

ここに「分ける」という言葉が使われていますが、裁きとは「分ける」という意味があります。それは永遠の命か永遠の滅びかということです。ある人たちはヨハネによる福音書5章24節の「裁かれることなく」という表現を取り、イエス様を信じている人は裁かれないと考えています。しかしそれは「罪を宣告されることなく」という意味で理解しなければなりません。これは私たちの運命は生きている間に決まるということを教えています。

 

3.月曜日:再臨前審判

再臨前審判とは、その名の通りイエス様が再びおいでになる前に行われる裁きのことです。特にダニエル書は、再臨前審判の時と性質について理解する助けとなります。ダニエル書8章14節を読んでください。

「二千三百の夕と朝の間である。そして聖所は清められてその正しい状態に復する」(口語訳)

これはダニエル書7章9節から14節を別の形で表現した出来事を示し、1844年より天の法廷で再臨前審判が始まったことを意味しています。

「神の裁き」と聞くと多くの人が恐怖心に包まれます。しかし、ダニエル書7章22節に「いと高き者の聖者らが勝ち」(新共同訳)との勝利宣言がなされているように、神様を信じる私たちにとって裁きとは「福音」まさしく良き知らせなのです。

 

4.火曜日:千年期の裁き

昨日、私たちは再臨前審判が1844年に「審判を行う者はその席に着き、かずかずの書き物が開かれた。」(ダニエル書7章10節、口語訳)時から始まったことを学びました。その一方で、千年期の裁きは、聖徒たちが天に上げられた後に起こります。黙示録20章4節を読んでください。

「また見ていると、かず多くの座があり、その上に人々がすわっていた。そして、彼らにさばきの権が与えられていた。・・・彼らは生きかえって、キリストと共に千年の間、支配した。」(口語訳)

千年期は、聖徒たちが天の書物を照らし合わせて神様のなされた裁きが全て公正であることを確認する機会となります。この地上が荒廃したままにされる千年期の間、聖徒たちはイエス様と共に天で統治することが約束されているのです。その際に神様は全人類に対して、人々の意思決定に基づいて相応しい報いを与えられるだけでなく、その理由も説明してくださいます。

 

5.水曜日:執行裁判

執行審判とは、人類史における神様の最終的かつ絶対に変更が不可能な裁きです。天から追放されたサタンと反逆した天使たちや、エデンの園から追い出されたアダムとエバをはじめ、聖書には制限的な執行審判が何度も行われたことが明らかです。つまりそれはもう一度悔い改めるチャンスが人々に与えられていたということです。なぜなら神様は全ての人を永遠の滅びから救いたいと心から願っていたからに他なりません。そのために、神様は愛する御子イエス・キリストを十字架によって捧げられたのです。しかし、神様はいつまでも恩恵を持って人々が悔い改めるのを待たれる方ではありません。ペテロの第二の手紙3章10節を読んでください。

「しかし、主の日は盗人のように襲って来る。その日には、天は大音響をたてて消え去り、天体は焼けてくずれ、地とその上に造り出されたものも、みな焼きつくされるであろう。」(口語訳)

 

6.木曜日:第二の死

ヨハネの黙示録20章を再度お開きください。火曜日で学んだように、千年期は聖徒たちが天の書物を照らし合わせて神様のなされた裁きが全て公正であることを確認する機会となります。

「この第一の復活にあずかる者は、さいわいな者であり、また聖なる者である。この人たちに対しては、第二の死はなんの力もない。彼らは神とキリストとの祭司となり、キリストと共に千年の間、支配する。」(ヨハネの黙示録20章6節、口語訳)

この「第二の死」とはなんでしょうか? それはサタンと悪人たちの死です。千年期の終わりには、全ての死んでいた悪人は墓からよみがえり、自分の行いに応じて最後の宣告を受けます。こうして裁きの全ての過程が終わり、悪人たちは神様の公平さを知ることになるのです。

こうして私たちは、罪と悪には始まりと終わりがあるということを第二の死を通して証明されています。この過程がなければ、私たちは完全な状態を取り戻すことはできません。私たちの誰もが神の裁きの対象ですが、それは私たちを罪と悪から分けるためになされる希望のしるしなのです。

 

7.金曜日:さらなる研究

今週は神様のなさる裁きと、裁きの3つの過程について学びました。それは再臨前審判、千年期の裁き、執行審判です。また裁きとは永遠の命か永遠の滅びのどちらかに「分ける」という意味を持ち、間違っても神様に従う聖徒が罪や悪と一緒に滅ぼされることはありません。裁きを通して神様は、この世を支配しているように思われた罪と悪に終わりがあること、そしてその後の完全なる世界があることを先立って私たちに教えておられるのです。最後に、ヨハネの黙示録21章3節と4節を読んでください。

「見よ、神の幕屋が人と共にあり、神が人と共に住み、人は神の民となり、神自ら人と共にいまして、人の目から涙を全くぬぐいとって下さる。もはや、死もなく、悲しみも、叫びも、痛みもない。先のものが、すでに過ぎ去ったからである。」(口語訳)

 

<質問>

あなたの周りに「神の裁き」を恐れている友人や家族はいますか? 今週の学びから、友人や家族に対してどのように「神の裁き」が希望であると伝えることができるか考えてみましょう。