PDFダウンロード ルビ付きはこちらからご覧ください
第12課 エジプトの王子、ヨセフ 吉村忍
1.安息日午後
ヨセフ物語は、これまで多くの人々の心に強い印象を残してきた物語です。エジプトに奴隷として売られたヨセフが、驚くべきことに総理大臣に任命される話や兄弟と再会する話など、ヨセフ物語には感動的な場面が多くあります。しかし、ヨセフ物語の全体に流れているのは、神様の介入です。私たちはヨセフ物語を通して、神様がヨセフをはじめ、ヨセフを取り巻く人々にどのように介入され、その人々が神様からの働きかけに対してどのような応答をしたかを見ることができます。神様は、すべての時と方法に従って物事を行なわれるお方です。
2.日曜日:権力者に上り詰めるヨセフ
ファラオがヨセフに、「・・・聞くところによれば、お前は夢の話を聞いて、解き明かすことができるそうだが」(創世記41:15)。と尋ねた時、ヨセフは「わたしではありません。神がファラオの幸いについて告げられるのです」(創世記41:16)。と答えました。
ホワイト夫人は『人類のあけぼの』上巻、242ページに、このヨセフの返答について次のように書いておられます。「ヨセフのパロへの答えの中に、彼の謙遜と、神への信仰があらわされている。彼は、慎み深く、優れた知恵が自分にあるなどとは言わなかった。「いいえ、私ではありません。」
ファラオはヨセフの内に神の霊が宿っていることを認めて、次のように言いました。「神がそういうことをみな示されたからには、お前ほど聡明で知恵のある者は、ほかにはいないであろう」(創世記41:39)。危機に直面していたエジプトの総理大臣にふさわしい人物は、ヨセフ以外にはいませんでした。総理大臣に任命されたヨセフは、決して高ぶった思いを抱くことはなく、これまでと変わることなく神様を信頼し、自分に与えられた義務を忠実に果たしました。
私たちは、立場や状況に全く影響されなかったヨセフの品性から教訓を学ぶことができます。
3.月曜日:ヨセフ、兄たちと対面する
ヨセフがファラオの見た夢の解き明かしで予告した通り、7年の飢饉が起こりました。
しかし、エジプトは7年の豊作の時に食糧を蓄えていましたので困ることはありませんでした。
飢饉はヨセフの家族が住んでいたカナンの地方も襲いました。ヨセフの父ヤコブは、エジプトに穀物があることを聞き、息子たちをエジプトに穀物を買いに行かせます。
「ヨセフの兄たちは来て、地面にひれ伏し、ヨセフを拝した」(創世記42:6)。この言葉は、かつてヨセフが見た夢がその通りになったことをあらわしています。創世記37:7でヨセフは次のように言いました。「・・・兄さんたちの束が周りに集まって来て、わたしの束にひれ伏しました。」神様は、すべての時を支配しておられるお方です。神様は、ヨセフとお兄さん達の再会の時を備えておられ、そこに向かってひとつひとつの出来事を導いておられました。
4.火曜日:ヨセフとベニヤミン
ヨセフは、穀物を買いに来たお兄さん達の中にベニヤミンがいないことに気づきました。ヨセフはベニヤミンの身に何か起こったのではないかと考えました。ヨセフにとってベニヤミンは特別な存在でした。それは、ヨセフとベニヤミンの母親(ラケル)が同じだったからです。
ヨセフは、お兄さん達がもう一度穀物を買いに来た時、自分の愛する弟ベニヤミンの姿を見て、どんなに嬉しかったことかと思います。ヨセフがお兄さん達には「この人たち」(創世記43:16)と呼んだのに対して、ベニヤミンには「弟」「わたしの子よ。」(創世記43:29)と言いました。
ヨセフは兄弟を食事に招いた場面で、ベニヤミンの食事の量をお兄さん達より5倍も多くしてお兄さん達の様子を伺いましたが、お兄さん達はベニヤミンに対して悪い感情を抱くことはありませんでした。このことによって、ヨセフはお兄さん達が変えられていることを知りました。神様が、お兄さん達の品性を変えてくださいました。
5.水曜日:占いの杯
ヨセフは、執事にベニヤミンの袋に占いの杯を入れるように命令しました。ホワイト夫人は、『人類のあけぼの』上巻、254ページに次のように書いておられます。「彼は、さらに兄弟達を試そうと思い、彼らが出発する前にヨセフ自身の銀の杯を末の弟の袋の中に隠すように命じた。」
兄弟達がエジプトを出発した後、執事が兄弟達の後を追い、一人ずつ袋を調べた時、ベニヤミンの袋からヨセフの杯が見つかりました。次の文章から、ヨセフの兄弟達への思いを知ることができます。「ヨセフは、兄弟達から罪を自覚する言葉を聞きたいと思っていた。」(『人類のあけぼの』上巻、256ページ)
ヨセフの「・・・ただ、杯を見つけられた者だけが、わたしの奴隷になればよい。ほかのお前たちは皆、安心して父親のもとへ帰るがよい。」(創世記44:17)との言葉に対して、ユダが次のように答えました。「何とぞ、この子の代わりに、この僕を御主君の奴隷としてここに残し、この子はほかの兄弟たちと一緒に帰らせてください。」(創世記44:33)
ユダは、自分が身代わりとなることを申し出ました。ユダの心に宿った自己犠牲の愛の源は、人類を救うために自らの命をささげてくださったイエス・キリストのお姿にあります。
6.木曜日:「わたしはヨセフです。」
これまで、何度となくお兄さん達を試してきたヨセフは、お兄さん達が以前の乱暴で残酷なお兄さん達ではないことがはっきりとわかりました。お兄さん達の品性がイエス・キリストの品性に変えられていることを知ったヨセフは、「わたしはヨセフです。」(創世記45:3)と自分の身を明かします。
この後のヨセフの言葉は、奴隷として売られた境遇を考えるならば、決して言えない言葉です。「わたしはあなたたちがエジプトへ売った弟のヨセフです。しかし、今は、わたしをここへ売ったことを悔やんだり、責め合ったりする必要はありません。命を救うために、神がわたしをあなたたちより先にお遣わしになったのです。・・・神がわたしをあなたたちより先にお遣わしになったのは、この国にあなたたちの残りの者を与え、あなたたちを生き永らえさせて、大いなる救いに至らせるためです。わたしをここへ遣わしたのは、あなたたちではなく、神です。」(創世記45:4~5、7~8)ヨセフの言葉は、神様を信じる信仰から出た言葉です。
私たちがヨセフ物語を通して神様の救いのご計画と神様がなさった御業を学ぶ時、神様の素晴らしさをほめたたえずにはいられません。
ヨセフ物語は、神様を信じ、神様の御言葉に従って歩む人に、ヨセフとヨセフの家族にしてくださったことをしてくださるという希望を告げています。
7.金曜日:さらなる研究
ホワイト夫人は、『人類のあけぼの』上巻、271ページに「ヨセフの生涯はキリストの生涯を代表している。」と書いておられます。
ヨセフとキリストのどの点が共通しているのかを学んでみてください。