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第10課 地獄の火 西村 翔
1.安息日午後
多くのキリスト教会の中で信じられてしまっている、聖書通りとは言えない教えがあります。それは「死んだ後も、魂が地獄または煉獄、あるいは天国で生き続ける」というものです。本当に、永遠の地獄が存在するのでしょうか。私たちは、死んだ後すぐに天国、もしくは地獄(または煉獄)に行かなければならないのでしょうか。
2.日曜日:不滅の蛆
マルコ9:48に登場する「蛆」は、死んだ後地獄へ行き、永遠に苦しむ悪人の魂のことだと理解されたりします。しかし、「蛆」は腐敗していく死体に取りつく蛆のことと理解するべきでしょう。また、「蛆」は「尽きることも…ない」とありますが、これは蛆が体を分解するまでその働きをやめない、ということです。つまり、悪人は完全に消えてしまうのです。私たちは、「完全に救われる」か、「完全に消えるか」のどちらかなのです。
3.月曜日:地獄の火
マタイ18:8や25:41では、「永遠の火」という表現が出てきます。しかし「永遠」という言葉は、聖書では文脈によってさまざまな意味を持つ言葉です。「永遠の火」とは、ものを焼き尽くすまで消えない火のことを意味しているのであり、将来にわたって永遠に燃え続けるのではありません。火が永遠なのではなく、火による結果(つまり、悪人が消えること)が永遠なのです。
地獄において、悪人が永遠に火で苦しめられるのだとしたら、永遠に悪が存在し続けることになります。神様は、人を苦しめるために、永遠に命を与え続けるような方ではありません。
4.火曜日:煉獄にいる聖徒たち
ローマ・カトリック教会の教えに、「煉獄」があります。地獄に落ちるほどではなくても、まだ天国には行けない死者は、煉獄で罪を清め、その後に天国に上ることができるというのです。煉獄での苦しみを軽くするためには、まだ生きている者たちの祈りや行いが重要であるとも言います。
この教えは、聖書の教えに合わないものです。聖書は、「私たちの唯一の仲保者は、イエス・キリストである」(1テモテ2:5参照)こと、「人は死んだ後、罪を悔い改めるチャンスは二度とない」(へブライ9:27参照)ことを教えています。煉獄の教えは、一見魅力的なものかもしれませんが、聖書全体の教えからはかけ離れたものです。
5.水曜日:肉体から離脱した魂のいる天国
多くのキリスト教会の中では、「死んだ人の魂がすでに天国で過ごしている」と信じられています。しかし、使徒言行録2:29、34、25を読んでみると、ダビデは死んだ後葬られたのであり、まだ天国には行っていないことが記されています。死んだ人は墓の中で無意識のうちに、終わりの日の復活を待ちます。そして、やがて終わりの日に、永遠の命が与えられ、天国で過ごすようになるのです。
6.木曜日:聖書の視点
ヨハネの手紙一5:12にあるように、「御子(イエス・キリスト)と結ばれている人」にのみ、永遠の命が与えられます。キリストと結ばれていない人には、与えられません。永遠の命は、イエス・キリストを通してのみ与えられる神のプレゼントであり、終わりの日の復活の時に実現するものです。
7.金曜日:さらなる研究
たとえ自分は天国に行けたとしても、愛する家族や友達が地獄で永遠に苦しんでいる姿を見ることは、どれだけ苦しいことでしょうか。そこは、天国とは言えないのではないでしょうか。
★私たちが永遠に生き続ける場所は、ただ一つ天国です。天国の何が楽しみですか?