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第10課 ヤコブ、イスラエルとなる 北 睦夫
1.安息日午後
今週私たちは、「神は、必ず、約束を守られる」ということについて学びます。ヤコブとヤコブの家族に起こった出来事を通して、たとえそれが、不幸な出来事であったとしても、またそれが、神の約束の実現を妨害しているとしか思えないことであったとしても、なお神は、約束を守られる、ということです。
2.日曜日:神と闘う
ヤコブは、兄エサウをだまして、神の祝福を横取りしました。しかし、兄をだまし、神の祝福を自分の力で得ようとしたことは、罪であることを示されました。その罪に悩み苦しんだヤコブは、神に「わたしを祝福してください」と祈りました。この祈りは、「わたしの罪を赦してください」「あなたの前に、正しい者としてください」と同じ意味です。
この祈り(闘い)を通してヤコブは、神から罪の赦しと平安を得ることができました。
そして、ヤコブ(押しのける者)という名前は、イスラエル(神と闘う人)と変えられました。神と闘う人とは、「熱心に、罪を悔い改め、祝福を祈り求める人」ということです。
3.月曜日:兄弟の再会
ヤコブが神と闘った場所は、「神の顔」と呼ばれるようになりました。それは、神に罪を赦され、神と仲直りし、顔と顔とを会わせて神を見ることができたからです。ヤコブは、その後、兄エサウに会った時、兄に、「神の御顔を見るようです」といいました。これは、神から罪を赦されたように、兄からも自分の罪が赦されたことを知って、つい口から出てきた言葉でした。ヤコブの赦しと恵みの経験を語っているようです。
4.火曜日:ディナへの辱め
ヤコブの娘のディナが、その土地の男シケムに辱めを受けます。しかしシケムは、誠実にディナを愛し、ディナにしたことの償いをしようとします。ヤコブの息子シメオンとユダは、妹ディナが受けた辱めを怒り、シケムのやったことを赦せず、シケムとの約束を破り、その土地の住民全体に対して、殺人や略奪などの報復をいたします。そのことをヤコブは、嘆きます。このことを通して、たとえ神に選ばれた人たちであっても、親切な行いだけでなく、時には、人をだまし、殺し、略奪などをしてしまう恐ろしい人となってしまう、それが罪人である人間の性質なのだということを教えているようです。(創世記34章)
5.水曜日:はびこる偶像崇拝
ヤコブは、神の命令に従って、かつて兄エサウを避けて逃げて行ったベテルに上って、神のための祭壇を造りました。その時ヤコブは、家族と一緒にいるすべての人々に、「身に着けている外国の神々を取り去り、身を清めて衣服を着替えなさい」と言いました。
ヤコブは、ベテルに上って、そこで祭壇を造るにあたって、自ら、偶像を取り去り、一緒にいる人たちにもそのことを求めました。これは、ヤコブが再出発するにあたり、神を第一とする礼拝に集中するために、偶像を避けたということです。そのことが神の御心にかなったのでしょう。神が周囲の人たちを恐れさせたので、ヤコブたちに危害を加える人たちはいませんでした。
6.木曜日:ラケルの死
ラケルの死は、悲しい事ですが、ベニヤミンの誕生は、喜ばしい事です。このように、私たちの人生には、悲しみと喜びが一緒に訪れることがあります。そのことをどのように受け止めていったらよいのでしょうか。ヤコブにとって、愛する妻ラケルの死は、悲しい事でしたが、生まれてきた子には、ベニヤミン(幸いの子)という名をつけました。これは、ヤコブの絶対的な神への信頼をあらわしています。
その後、ヤコブとレアとの最初の子であるルベンが、ヤコブの召使いビルハと寝るというあからさまな悪が起こります。そのような問題の中にあっても、神の約束は、この家族を通して成し遂げられていくのです。
私たちアドベンチストの家庭であっても、身近な家族の中でも、いろんな問題が起こります。それでも私は、主を信頼していきたいと思います。