2021年第3期「キリストにある休み」
第1課 申命記の序文 佐藤 由歩
- 今週のポイント
- 「第二の律法」という意味もある申命記は、神様がイスラエルの民になさった全ての業を心に留め、神様の契約に従うことで神様を愛しなさいという目的ゆえに与えられたものです。今週は、申命記が位置付けられるまでの歴史的背景について学び、現代を生きる私たちに与えられたメッセージについて考えていきます。
- 堕落した私たち人間は、「神は愛である」ことを完全に理解することはできませんが、それが良い知らせであることは分かります。そんな愛である神様に対して私たちがどのように応えることができるのかを、神様はモーセに十戒を与えることで各時代の人々に教えられたのです。
- 神様は、全世界を洪水で滅ぼすことによって、第二の創造とも言える再出発のチャンスを人類にお与えになりました。しかし人間は、愛ゆえに神様がくださった自由意志を用いて金や銀の神々を称え、天地万物の創造主に逆らい続けます。創世記3章の冒頭から分かるように、サタンはいつの時代も人々が神様に対して不信感を抱くように働きかけるのです。
- 人類の堕落はバベルの塔に止まりません。創世記12章以降は次々と機能不全に陥るアブラハムの子孫の物語であり、哀れな家族の姿が続きます。それでも神様の愛は豊かに注がれ続け、時代はモーセの召しという大きな転換を迎えます。神様は、後にエジプトから導き出されたアブラハムの子孫の中に真の知識、救いの計画を保とうとなさいました。
- イスラエルの民は、「すべての民の間にあってわたし(神様)の宝となる」(出19:5)と言われましたが、それは彼らが聖いからでも、彼らの内に義があったからでもありません。それは全て神様の恵みのゆえに与えられたものであり、彼らを通して全世界に福音が宣べ伝えられるためだったのです。ですから神様は、先立って彼らに従うべき戒めを授けられたのでした。
- 現代を生きる私たちからすれば、出エジプト当初より考えられないような奇跡が次々と彼らの前で示されたにも関わらず、そんな彼らもまた神様に対する不信仰を表したため、結果として40年も荒れ野をさまようことになったのです。不完全である私たちは、どうしても過ちを繰り返してしまいます。ですから、当時の人々同様に私たちも日々の悔い改めが必要なのです。
- ディスカッションのためのテーマ
- 当時のイスラエルと今日のセブンスデー・アドベンチストとの間にはどんな共通点がありますか? 良い部分と改善すべき部分を挙げてみましょう。
- 日々、神様に対してこれ以上過ちを繰り返さないように私たちが果たすべき務めはなんですか?