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第2課 キリスト中心の神の壮大な計画 柴田 寛
1.安息日午後:今週のテーマ
月面に立つためには、宇宙服が絶対必要なように、神は、私たちにぜったい必要なものを用意しておられます。しかも、この世界が造られる前からです。この大きな祝福について、今週は学びます。
2.日曜日:キリストに選ばれ、受け入れられる
パウロは、エフェソ1章3~14節の中で、神様が「天のあらゆる霊的な祝福」(3節)を与えてくださっているとのべています。「あらゆる」とは、「すべて」という意味ですから、アレも足りない、コレも足りない、というものではなく、すべてにおいて充分すぎるほどの祝福が用意されているという意味です。
しかも、「天の」(口語訳では“天上で”)とつきますから、これは文字通り、この世ではなく、天の三位一体の神様の中において、永遠の昔から私たちのために持っておられた「夢とご計画」(副読本13ページ)がまずあり、天地創造の前から、私たちを「イエス・キリストによって神の子にしようと」(5節)、お定めになってくださっていたのです。これは、罪がこの世界に入ったことに対して、取って付けたように、救いの計画を立てられたのとは違います。その前から、私たちは愛されて生まれたのです。
3.月曜日:高価な贖いーー惜しみない赦し
テキストに珍しく「ゾンビ」という言葉が出てきました。辞書によると、ゾンビとは、まじない師が生き返らせて操る死人のことだそうで、“生きた姿を与えられた死体”とも書いてありました。つまり、実際は死んでいるということです。
エフェソ2章1節には、私たちがまさに、このゾンビのように、罪によって“死んでいた”と記されています。つまり私たちは死人のように、何もできない者として、ゾンビ同然に、サタンによって操られている・・・これが私たちの現状です。
しかし、そこに神の恵みが現れました。それが「贖い」(1章7節)です。贖いとは、奴隷や囚われている人を自由にするために支払う代価のことです。神は、私たち人間をサタンの手から自由にするために、御子イエス・キリストの命を代価として差し出して下さいました。ここに神の愛があらわれています。
テキストにこのように書かれていました。「贖われるとは、物ではなく人間として扱われることである。それは地上の奴隷ではなく、天の市民になることである」。
私たちは物ではなく、一人ひとり大切に、神の家族として、愛されているのです。
4.火曜日:キリスト中心の神の壮大な計画
9節の「秘められた計画」とは、神が天上において、永遠の昔から持っておられる、壮大なご計画のことです。それはイエス様のお誕生から、十字架の死、復活、昇天、天の聖所における大祭司としてのつとめにとどまらず、この地上に教会をお建てになり、教会や宣教の働きを通して、あらゆるものが、頭であるキリストのもとに一つにまとめられていくという奇跡です。
この世は、サタンによってバラバラにされてしまいました。しかし、神の秘められた計画によって、やがて一つに束ねられていくのです。その方法は、神様だけがご存知です。しかし、そこに教会の働きが関係していることは間違いありません。なぜなら、マタイ24章14節には、福音が全世界に宣べ伝えられてから、終わりが来ると預言されているからです。
エフェソ1章10節の「まとめる」という言葉は、「絵のように美しい言葉」だとテキストに書いてありましたが、それを聞いてすぐに頭に浮かんだのが、各時代の大争闘の最後に記されているうつくしい言葉でした。
「大争闘は終わった。もはや罪はなく罪人もいない。全宇宙はきよくなった。調和と喜びのただ1つの脈拍が、広大な大宇宙に脈打つ。いっさいを創造されたお方から、いのちと光と喜びとが、無限に広がっている空間に流れ出る。最も微細な原子から最大の世界に至るまで、万物は、生物も無生物も、かげりのない美しさと完全な喜びをもって、神は愛であると告げる。」(各時代の大争闘 42章)
5.水曜日:神の栄光をたたえて生きる
キリストにおいて、あらゆるものが一つにまとめられることの意味を、さらに考えてみましょう。
エフェソ1章5節には、「イエス・キリストによって神の子にしようと、御心のままに前もってお定めになったのです」とありましたが、この意味は、私たち一人ひとりが、相続権を持つ神の家族として創造されたということです。ローマ8章17節には別の表現でこう記されています。「もし子供であれば、相続人でもあります。神の相続人、しかもキリストと共同の相続人です。」
時々、私たちクリスチャンは、神様の目から見て、どのような存在なのだろうと思ったことはありますか? 神様は、私のような小さな存在など、目に入っていないのではないか・・・そんなふうに思って落ち込むことがあるかもしれません。
しかし、そうではありません。パウロが熱く語っているのは、神は一人ひとりを家族として心にかけておられ、やがて「神の子」たちを、一堂に集め、受け継ぐべき財産を分け与えて下さる、ということです。神は、私たち一人ひとりを、大切な家族として心にかけ、私たちを天の故郷に迎え入れることを楽しみにしてくださっているのです。
6.木曜日:聖霊:証印と保証
私たちが神の相続人となることを快く思わない人物がいます。それはサタンです。サタンはかつて、天の財産を独り占めしようとして失敗しています。ですから、神の子であるクリスチャンを目の敵(かたき)にするのです。
しかし、そのような危険にさらされている私たちを、神様は放ってはおかれません。聖霊を送ってくださり、私たちを保護して下さるのです。聖霊を常に心に迎え入れている限り、私たちは相続にあずかることができるのです。
7.金曜日:さらなる研究
エフェソ1章3~14節の中には、「前もってお定めになった」というような表現が複数でてくるために、神様が救う人と救わない人を、あらかじめ定めておられるのかと誤解してしまいそうになりますが、これは、キリストの役割を、あらかじめ定められたという意味です。それは、すべてのものを一つにまとめる働きであり、「秘められた計画」です。また、「わたしたちの父である神と主イエス・キリストからの恵みと平和」(エフェソ1章2節)です。
【話し合いのための質問】
次の文章を読んで、神が与えてくださった恵みの大きさについて瞑想し、話し合ってみましょう。
「神は、み子という比類なき賜物を与えて、ちょうど空気が地球のまわりを取りまいているように、恵みの雰囲気で全世界を包みました。このいのちを与える空気を吸いたいと望む者は、誰でも生きることができ、キリストにある全き人となることができるのです」(『希望への光』1958ページ)