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第12課 慈しみを愛すること 下村 和美
1.安息日午後:今週のテーマ
聖書には、貧しく虐げられた人たちを気遣う神様が描かれ、その神様を信じる者たちは、神様から聖霊の導きによって力づけられて「貧しく虐げられた人たちを助けよ」と言われています。しかし、実際にはそれほど神様の愛の奉仕がなされていないのは、悪魔や悪天使が、しばしば貧困、暴力などを使って貧しく虐げられた人たちを苦しめているからです。その貧しく虐げられた人たちが完全に助けられるのはキリストが再びこの地上に来られる再臨の時です。
2.日曜日:神の国の優先順位
神の国の一員として生きることを選んだ人は、この世が一番にすることとは違った一番を選びます。イエス様が「命は食べ物よりも大切であり、体は衣服よりも大切ではないか」(マタイ6:25)と言われて、物も大切にしなければいけないけれども、神の国から見れば命や体の方がもっと大切だと言われています。神の国の一番にするものとこの世の一番にするものとは違っています。同じように自分自身よりも神の国から見れば、他の人を大切にすることの方が神の国では一番になります。この神の国から見た他の人たちを大切にすることは、貧しく虐げられた人たちに対して嫌なことをしてくる人にも、できる限り親切にしなさいと教えています。しかし、時には、イエス様の弟子のペテロのように「人間に従うよりも、神に従わなくてはなりません。」(使徒言行録5:29)と言って、神様を一番にしなければならない時もありますから、祈りつつ神様にお尋ねしながら、その時にあった行動をしましょう。
3.月曜日:共感疲労
私達は貧しく虐げられた人たちの生活に変化をもたらすためにもっと多くのことがしたいと願っています。まず、貧しく虐げられた人たちの困っていることに気づいて行動することが第一歩です。「同情は気の毒に感じるだけ。真の思いやりは行動にでる。」(成功への鍵より)イエス様は、貧しく虐げられた人たちの周囲にあった悪や苦痛を良く分かった上で、貧しく虐げられた人たちへの思いやりを持ち続けられました。また、貧しく虐げられた人たちの困っている状況に可能な限り私達は耳を傾けて少しでも分かり合おうとします。そして問題が起こった時に、貧しく虐げられた人たちを物のように扱っている人の為に対しても祈り、貧しく虐げられた人たちに最善の対応ができるように神様の導きを求めます。最後に、貧しく虐げられた人たちの苦しみを私達が和らげる働きの中で、貧しく虐げられた人たちが他の人からしてもらいたいと望むことを、私達がさせてもらえるように適度な期待を持たせてもらいます。
4.火曜日:寛大さ
「喜んで与える人を神は愛してくださる」(Ⅱコリント9:7)
惜しみなく与えることは、クリスチャン生活にとって大切なことで、イエス様の生き方から学びました。イエス様は、全てを惜しみなく与えつくし、最後には十字架にかかって自分の命まで惜しまずに与えられました。しかし、世の中の多くの人が、この世の全てのものを自分のものにしたいという気持ちを持っています。だから、私達クリスチャンはイエス様のように、貧しく虐げられた人たちに惜しみなく与えるものでありたいと思っています。
5.水曜日:平和を実現する
「平和を実現する人々は、幸いである、その人たちは神の子と呼ばれる。」(マタイ5:9)
イエス様が教えたかったことの中に、「平和を実現してほしい」ということが含まれています。暴力的な衝突は苦しみの大きな原因になってしまいます。イエス様は、怒ったり、恨んだりすべきでなく、敵を愛し、私達を迫害する者たちのために祈るべきであると言っています。太平洋戦争が始まったのは、ハワイの真珠湾攻撃からでした。真珠湾攻撃の総隊長:淵田美津雄さんは、終戦後、連合国による戦犯裁判に対して反発します。アメリカ軍も日本人に対して非人道的な行為をしていないか、アメリカの捕虜であった人たちに聞き取り調査を行いました。ずいぶんひどい扱いを受けた日本兵たちもいましたが、アメリカのユタ州から帰還した兵士たちからある出来事を聞きかされました。アメリカのユタ州から帰還した兵士たちは20人ばかりで、腕を落としたり足を切ったりの重傷者たちでした。そこにマーガレット・コヴェルという1人の20歳前後のアメリカ人女性が現れ、日本人の捕虜に懸命に奉仕しました。日本人の捕虜たちは心うたれて「お嬢さん、どういうわけで、こんなに私たちを親切にして下さるのですか?」と尋ねました。マーガレット・コヴェルさんは「私の両親があなたがたの日本軍によって殺されたからです。」と事実を語ります。マーガレット・コヴェルさんの両親はキリスト教の宣教師でした。日本人に殺される前、2人は熱心に祈りをささげました。マーガレット・コヴェルさんは、地上におけるこの最後の祈りで両親が何を祈ったかを考え、自分がこの両親の娘として、憎いと思う日本人に憎しみを返すことではなく、両親の志をついでキリストの愛を伝えるために、日本兵の捕虜収容所の病院で働くことを決めました。この話を聞いたアメリカ軍の非人道的行為を探していた淵田さんは、心を激しく打たれて「やっぱり憎しみに終止符を打たねばならぬ。」という気持ちにさせました。(淵田美津雄、『真珠湾攻撃総隊長の回想・淵田美津雄自叙伝』より)神様から与えられた大切な一回しかない人生の時間を平和を作り出す時間に使いたいと神様にお祈りしたいと思います。
6.木曜日:黙っている人たちのための声
「黙する時、語る時」(コヘレト3:7)
神様は貧しく虐げられた人たちの助けを求める声に耳を傾け、正しくないと思えることを減らすために、自分のできることをしなさいと弟子たちに教えられました。私達、セブンスデー・アドベンチストも神様と同じように、貧しく虐げられた人たちが求めていることに気づいて、貧しく虐げられた人たちの喜ぶことをしたいと願っています。絵本の「兎あにい、おてがら話」の中に、狐と鶴の話が出てきます。ある時、狐がくちばしの長い鶴を夕食に招待して、美味しいスープを平らな皿に入れてもてなしましたが、くちばしの長い鶴は平らな皿に入ったスープを一口も飲めず、狐だけが美味しそうに舌で平らな皿のスープを飲み干すのを見て、黙って自分の家に帰りました。今度は、鶴が狐を夕食に招いて、鶴の細くて長いくちばししか入らない口の小さいツボの中に魚の切り身を入れて狐に出しました。鶴は食べ終わりましたが、狐はツボの中の魚の切り身を一口も食べられずに黙って自分の家に帰りました。後で狐と鶴は考えました「自分が美味しく食べられても、相手が食べられなければ美味しくない」。だから、お互いが食べやすい器に入れて、一緒に食べられるのが嬉しいと思いました。相手が何を欲しがっているのか、貧しく虐げられた人たちが何を求めているのか、よく考えて、相手が喜ぶことができたら憐れみ深い神様も喜んでくれると思います。
7.金曜日:さらなる研究
「だから、人にしてもらいたいと思うことは何でも、あなたがたも人にしなさい。…」(マタイ7:12)とイエス様は教えられました。「ある教会員の人がバスに乗って窓から外を見ていました。すると、ある男性の方が必死になって次のバス停に向かって走っています。バスは走っている男性を抜かし、先にバス停に着きました。バスに乗っていたお客さんを降ろしてもバスは出発しません。すると運転手さんが車内のマイクで話し出します。「今、こちらに向かって男性の方が一人走っています。もうしばらくお待ちください」と。男性は息を切らせてバスに飛び乗り込んで来た時に、バスに乗っていた人が皆、笑顔になりました。どんな状況でも、他の人が喜ぶことを出来たら嬉しいと思います。
皆さんは、イエス様が教えて下さった「人にしてもらいたいと思うことは何でも、あなたがたも人にしなさい。…」という言葉から、自分は他の人に何ができるか、また、自分が体験した親切な人の話を話し合ってみて下さい。