第10課 道、真理、命 高橋祐希
1.安息日午後:今週のテーマ
〇暗唱聖句
「いまだかつて、神を見た者はいない。父のふところにいる独り子である神、この方が神を示されたのである。」(ヨハネ1:18 新共同訳)
ヨハネによる福音書は4つに分類できます。
1)序言:ヨハネ1章1~18節
2)しるしの書:ヨハネ1章19節~12章50節
3)栄光の書:ヨハネ13章1節~20章31節
4)結び:ヨハネ21章1節~25節
今週から、3番目の栄光の書を学んでいきます。特に10課では、ヨハネ13章、14章から、イエス様が示された模範やイエス様が語られた「わたしは道であり、真理であり、命である」という言葉について考えます。
2.日曜日:模範を示した
「ところで、主であり、師であるわたしがあなたがたの足を洗ったのだから、あなたがたも互いに足を洗い合わなければならない。わたしがあなたがたにしたとおりに、あなたがたもするようにと、模範を示したのである。」(ヨハネ13:14-15)
イエス様は十字架に架かる前、弟子たちと最後の食事をされました。当時、食事の前に召使や奴隷が食事に来た人の足を洗う習慣があったのですが、その時は召使がいませんでした。その時、なんとイエス様が立ち上がり、弟子たちの足を洗い始めたのです。
イエス様は、誰よりも偉いお方でありながら、決して威張ったり、誰かを見下したりするようなことはありませんでした。自分を低くして他者を敬い、他者の必要に応えることの大切さを教えられたのです。
このときイエス様が教えて下さったお手本を、今わたしたちも真似しています。教会で行われている洗足聖餐式で、お互いに足を洗うのはイエス様のお手本に基づいています。
3.月曜日:私は必ず戻って来る
「行ってあなたがたのために場所を用意したら、戻って来て、あなたがたをわたしのもとに迎える。こうして、わたしのいる所に、あなたがたもいることになる。」(ヨハネ14:3)
このとき弟子たちは、イエス様が十字架に架かって亡くなること、その後3日目に復活されること、天にお帰りになることについて、わかっていませんでした。そんな弟子たちに「心配しないで」と語られました。
弟子たちはよくわかっていませんでしたが、イエス様は再臨の約束を与えられました。天国で一緒に過ごせるように、イエス様がわたしたちを迎えに来て下さるという素晴らしい約束です。この約束は、わたしたちにも与えられています。
4.火曜日:「わたしは道であり、真理であり、命である」
「イエスは言われた。『わたしは道であり、真理であり、命である。わたしを通らなければ、だれも父のもとに行くことができない。』」(ヨハネ14:6)
イエス様はご自身を「道」とおっしゃいました。それは、父なる神様へと続く道です。今週の暗唱聖句で、独り子である神(イエス様)が父なる神様を示された、とありました。わたしたちは、罪の影響を受けて父なる神様を正しく理解できなくなりました。イエス様は、そんなわたしたちに、父なる神様がどのようなお方かを示してくださったのです。もしイエス様がおられなければ、父なる神様の愛を十分に知ることはできないでしょう。
5.水曜日:私は真理である
イエス様は「わたしは・・・真理であり」(ヨハネ14:6)と仰いました。「真理」と辞書で調べると、「ほんとうのこと、間違いのない、いつどんなときも変わることのない正しい物事の筋道」といった意味が書かれています。
わたしたちの住む世界は、間違いだらけで常に変化しています。どんなに素晴らしいものでも、いつかは終わりを迎えます。物も国も人も、永遠に存在することはできません。
しかし、聖書には「イエス・キリストは、きのうも今日も、また永遠に変わることのない方です。」(ヘブライ13:8)とあります。イエス様だけが、永遠に決して変わることのないお方です。イエス様こそ、真理なのです。
6.木曜日:聖書と真理
「あなたたちは聖書の中に永遠の命があると考えて、聖書を研究している。ところが、聖書はわたしについて証しをするものだ。」(ヨハネ5:39)
イエス様はご自分のことを明らかにするために、聖書を示されました。イエス様は復活された後、エマオへの道で弟子たちにお話された時にも、聖書を使われました。聖書は、イエス様がどのようなお方であり、何のために来られたのかを教えています。聖書があるので、わたしたちの起源や人生の意味、未来について知ることができるのです。
7.金曜日:さらなる研究
〇話し合いのための質問
① イエス様が示された模範は、謙虚に他者に仕えることについて、どのようなことを教えているでしょうか。
② イエス様が再臨されるという確信は、わたしたちの日々の生活にどのような影響を与えますか。