安息日学校部

第5課 聴覚しょうがい者用:寺内三一

2020年第4期「教育」(天国に備える教育) 

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第5課   偉大な教師としてのイエス 寺内三一

 

1.安息日午後

今週は、神を知るための教育を受ける者にとって大事な「教師であるイエス様」について学びます。

教育は教師次第(先生次第)です。生徒がどんなに熱心で意欲があっても良い教師(良い先生)でなければ生徒は祝福されません。イエス様は神の御子です。神であるイエス様が、神のことを教えて下さるのですからこれ以上の教師はありません。私達が救われるために、救い主であるイエス様ご自身が救いの真理、救いの方法、救いの素晴らしさ、神の愛を直接教えて下さるのです。イエス様は、これ以上ない「素晴らしい教師、ふさわしい教師」です。

また、教育は生徒次第です。どんなに教師(先生)が素晴らしく熱心でも、素直ではなく、偏見をもっていて、先生の教えを受け入れず、従おうともしない生徒は祝福されません(イエス様を拒んで十字架につけた人達がそうでした)。私達は、素晴らしい教師であるイエス様の話をしっかり聞き、イエス様の愛の行いをしっかり見る良い生徒になりたいと思います。そして、聞くだけではなく、聞き従い、教師であるイエス様を模範として見倣う良い生徒になり、神の祝福を受けていきたいと思います。

 

2.日曜日:父なる神を示す(1)

神の御子であるイエス様が、人間となられた(受肉された)目的は3つあります。

第1に、間違って神を理解して間違った生き方をしている人に、神を正しく現して正しい生き方をしてもらうためでした。第2に、私達(罪人)を救うために十字架につかれるためでした。第3に、イエス様が神の愛の律法を守る事で、私達も神の助けによって愛の律法をイエス様のように守る事ができるという励ましと模範(手本)になるためでした。

神は「この終わりの時代には、御子によってわたしたちに語られました」(ヘブライ人への手紙 1:2)。神の御子のイエス様は、「神の栄光の反映であり、神の本質の完全な現れ」(同1:3)です。イエス様は神を正しく現しています。イエス様が語られる言葉を聞くと神が分かるのです。また、イエス様の行いを見ると(背中で語られる言葉を聞くと)神が分かるのです。神は、私達人間が神を正しく知る事ができるように、神の御子のイエス様を私達と同じ人間とされたのです。

パウロも、イエス様は「神の似姿である」と言っています(コリント第2、4:4)。神は私達がイエス様を見ると(見続けると)、イエス様のお顔に輝く神様の栄光を(愛の光を)悟る事ができると言われるのです。

イエス様を見て、本当の神が分かると偽物の神が分かります。本当の神の光に(愛の光に)照らされ、導かれて行くと、偽りである闇が分かるのです。真の命の光である神の光によって、サタンの闇に勝利できるのです。

 

3.月曜日:父なる神を示す(2)

ヨハネ福音書の1:1に「初めに言(ことば~イエス様)があった」と書かれています。神の心とお考えを表す「神の言(ことば)」であるイエス様は、誰かに造られたお方ではありません。永遠の初めから存在されているお方です。永遠の存在である方は神だけです。イエス様も永遠の存在であるので神なのです。

イエス様は「(すべての)人間を照らす光」です。私達人間に、愛の光、人生の暗闇を導く光を与えて下さり、どのように歩んでいけば良いかという正しい道を示して下さいます。正しい生き方が分かると、間違い(偽り)も分かります。イエス様は、神に造られて神の命を生きている「神の子」である私達人間を、イエス様に似た者に高めようとして下さるためにも人となられたのです。

イエス様の弟子のフィリポはイエス様に、父なる神を見せて下さいと言いました。フィリポはイエス様と共にいて、イエス様を肉体の目で見ていましたが、信仰の目(霊の目)で「イエス様が神を現わしている」事が分かりませんでした。イエス様は「わたしを見た者は、父を見たのだ」とフィリポに言われました。イエス様は、山上の説教(マタイ5:8)で「心の清い人々は、幸いである、その人たちは神を見る」と言われました。清い(聖なる)お方であるイエス様を見続けて、心を清くしていただくとイエス様の言葉に、働きの中に神を見ていく事ができるのです。

 

4.火曜日:偉大な教師の心を読む

パウロはフィリピ2:3~9でフィリピの信徒に「何事も利己心や虚栄心からするのではなく、へりくだって、互いに相手を自分よりも優れた者と考え、めいめい自分のことだけでなく、他人のことにも注意を払いなさい」と勧めています。そしてそうする理由を書いています。「キリストは、神の身分でありながら・・僕の身分になり、人間と同じ者になられました。・・へりくだって、死に至るまで、それも十字架の死に至るまで従順でした。このため、神はキリストを高く上げ、あらゆる名にまさる名をお与えに」なられたからと言うのです。パウロは、イエス様が(自分達の教師として)愛と奉仕と謙遜の模範を示されたのだから、(教師である)イエス様を見倣う良き生徒となるようにとフィリピの信徒に期待したのです。私達もフィリピの信徒と同じように、イエス様を模範として歩んでいきたいと思います。

 

5.水曜日:偉大な教師と和解

私達は人間関係がいつも良い時ばかりではありません。人間関係が悪くなった時には、関係の修復(回復・和解・仲直り)が必要です。お互い同士での修復が難しい時は誰かの助けが必要です。また私達は、神との関係が悪くなり(罪を犯し)自分の力では修復が難しくなった時に、神と私達との間に立って、神との関係を修復し和解させて下さるのがイエス様です。イエス様は私達の罪が赦されるために(私達を救うために)十字架について下さいました。そして、今は神と私達との間を執り成して下さる仲保者の働きをして下さっているのです。この様に私達は、イエス様によって、神と和解し、罪が赦され、救われて神との関係が修復され、神と共に歩めるのです。

イエス様は、山上の説教(マタイ5:9)で「平和を実現する人々は、幸いである、その人たちは神の子と呼ばれる」と言われました。私達が神と和解するため(救われるために)にイエス様が働かれたように、他の人達が神と和解するために、神との平和を~人との平和を実現するために働くように「和解のために奉仕する任務をするように」と願っておられます。私達は教師(先生)であるイエス様の良き生徒(教え子)として、先生の働きである「和解の務め」をお手伝いしていきたいと思います。

 

6.木曜日:偉大な教師の最初の教え子たち

偉大な神の教師であるイエス様の最初の教え子(生徒)は12弟子ではなく、イエス様の両親となるヨセフとマリアと言えるでしょう。ヨセフもマリアも天使の声を聞く「信仰の耳」を持っていました。そして、聞くだけではなくその言葉を「受け入れ従う心」を持っていました。また、イエス様が誕生された時にやって来た羊飼い達や東から来た博士達は、「貧しく幼い、飼い葉おけに寝ておられるイエス様」を「聖書が預言した救い主である」と信じ礼拝する「信仰の目、礼拝する心」を持っていました。博士たちは「真理を求める心」を持ち続けて救い主に出会いました。羊飼い達は、この幼子が天使が言われた通りの「主メシアである」と人々に伝える「伝道の心、伝道の声」を持っていました。聞いた人たちは、不思議に思いましたが信じませんでした。メシア(救い主)はベツレヘムに生まれると、旧約聖書に預言されている事を人に教えるくらいに知っていた律法学者達も、イエス様を礼拝するために出かけて行きませんでした。彼らは神の知識は人に教える事はできても、イエス様に教えられ素直に信じ従うイエス様の良き生徒ではなかったのです。

 

7.金曜日:さらなる研究

一般の教育の目標は「自分で考え、自分で行動し、自分で責任を取る~自立した人間になる事」と言われます。よく「神なき教育は、賢い悪魔をつくる」と言われます。現代の世界の混乱と家庭の不和と悲しみは「神なき教育」にあるのではないでしょうか。

キリスト教教育の目標は、「聖書に証しされている~救い主であり(教師であり)愛の生き方をされたイエス様を~知識で、心で、魂で、行いで、生活の中で知り~イエス様のように神と共に生きる人となる事~神を愛し、自分を愛し、隣人を愛していく人になる事」なのではないでしょうか。

イエス様は、十字架の前夜に弟子達にこう言われました。「あなたがたに新しい掟を与える。互いに愛し合いなさい。わたしがあなたがたを愛したように、あなたがたも互いに愛し合いなさい。互いに愛し合うならば、それによってあなたがたがわたしの弟子であることを、皆が知るようになる。」(ヨハネ13:34,35)。

イエス様を、イエス様の愛をさらに良く知り、良く学び、教えに従う~偉大な教師であるイエス様に似る「イエス様の良き生徒(イエス様の弟子)」として歩んでいきたいと思います。