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第4課 イエスのための献げ物 柴田 寛
1.安息日午後:今週のテーマ
先週は、神さまにお返しする什一についての学びでしたが、今週は残りの90%の中からささげる、任意の献金について、聖書がどのように言っているかという学びです。
2.日曜日:与えるための動機
ガイドの副読本に、献金をする理由が、わかりやすく書かれていましたので引用します。
「教会ではなぜ多くの献げ物が集められ、何のために用いられるのかと不思議に思ったことはありますか。そう思わない人はいないでしょう。単純に説明すると、神は教会を通して伝道を推し進めるためにすべての献げ物を用いられるからです。」(ガイド副読本29ページ)
世界中の人々に神様の愛を伝えるためには、どうしてもお金が必要です。でも、もっと必要なのは、神様をまだ知らない人たちに、神様の愛を伝えたいという、私たちの思いなのです。なぜならそれは隣人を愛することだからです。神さまはお金よりも、他の人の救いのために必要な資金を惜しみなく献金する、あなたの心、神の愛によって生じた隣人愛がほしいのです。なぜなら、それこそが、伝道を推し進める力だからです。
3.月曜日:どれくらいささげるべきか
什一と違い、「その他の献金は、いくらささげたらいいの?」と思ったことはありませんか? イエス様は、「ただで受けたのだから、ただで与えなさい」(マタイ10:8)と弟子たちに言われましたが、私たちがどれだけ多くのお恵みをいただき、豊かにされているかが、その他の献金額の目安となります。つぎの御言葉は、その額を決める一つの助けとなるでしょう。「あなたの神、主より受けた祝福に応じて、それぞれ、献げ物を携えなさい。」(申命記16:17)
4.火曜日:献げ物と礼拝
申命記16:16には、「何も持たずに主の御前に出てはならない」と記されています。何か献金を強制しているかのように聞こえますが、この御言葉を言い換えるなら、「主の御前に出る者は、心からの礼拝をささげるべきだ」と言っているように思えます。なぜなら、日曜日と月曜日のところで学んだように、神様の大きな愛への感謝と賛美の自然な結果が、“私もだれかの救いのために役立ちたい”という気持ち=「献金」だからです。感謝と賛美はささげるけど、他のだれかの救いには関心がない(=献金しない)・・・と言われるなら、それは本当に、神様の大いなる愛に感謝し、賛美していることになるのでしょうか? より真実な礼拝、心からの礼拝をおささげするために、献金に対する姿勢を考えてみましょう。
5.水曜日:神は私たちの献げ物に注目しておられる
マルコ12:41~44は、わずかな銅貨2枚を献げた貧しいやもめを、イエス様が「誰よりも多くささげた」と、高く評価される場面です。神さまは、献金の多さではなく、ささげた人の心に注目しておられる、ということです。
また、使徒言行録10:1~4に登場する百人隊長コルネリウス(ローマの軍隊の歩兵100人の指揮官)に天使が現れた場面は、「どんな国の人でも、神を畏れて正しいことを行う人は、神に受け入れられる」(使徒言行録10:35)、ということのよい実例です。
献げ物とは、心が形になったものであり、礼拝行為なのです。そして神様は、そのような礼拝をお喜びになられるのです。
6.木曜日:特別なプロジェクト:大きなびんの献げ物
たいていの場合、財布の中にあるお金から献金をします。しかし、神の愛の大きさに驚き、本当に感動した時には、それ以上のものをささげたくなります。マルコ14章には、1年分の賃金に相当する、非常に高価な「ナルドの香油」をイエスに献げたマリアという女性が登場しますし、使徒言行録4章には、教会のために土地を売ったバルナバという男性が登場します。
このような大きな献げ物は、ささげた人に特別な祝福をもたらします。それは、この世の富に執着していた自分から、キリストを愛する者へと変えられる経験です。キリストは言われました。「あなたがたは地上に富を積んではならない。・・・富は、天に積みなさい。・・・あなたの富のあるところに、あなたの心もあるのだ。」(マタイ6:19~21)
7.金曜日:さらなる研究
私たちは、行いによって救われるのではありません。しかし、行いのない信仰は死んだものであり、生きた信仰なしに神に喜ばれることはありません。さらなる研究として、ヤコブ2:14~26を読んでみて下さい。「言うだけで・・・何一つ与えないなら、何の役に立つでしょう。」(ヤコブ2:16)という言葉が耳に残ります。与えることのできる人にならせて下さいと、祈りましょう。
【話し合いのための質問】
あなたが最も高く評価しているものは何でしょうか? それは、地上のものでしょうか? 天上のものでしょうか?