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第2課 罪の世界における死 平本 光
1.安息日午後 今週のテーマ
今週はアダムとエバが神との約束をやぶり、私たちの世界に存在する苦しみや悩み、誘惑などの問題や、死が存在するようになったことを理解する基本的な流れを教えています。またその問題に対して神がエデンの園で人類のために、解決を与える約束という希望を与えられたことについて学びます。
2.日曜日:相反する言葉
聖書を見るときに神様は、人の住む地球を愛で満たそうとなさいました。誰も傷つけず、悲しむことのない罪のない世界を創造されました。また神がつくったものはすべて、非常に良かったのです(創世記1:31)。「良かった」には人間も含まれます。人間も道徳的に優れており、愛することができ、完璧に創造されました。
そして、神は人に選ぶ自由を与えられました。神はエデンの園に2本の木を置くことによって自由に選ぶ(選択の自由)ことができる機会を与えられました。その2本の木とは、命の木と、善悪を知る木のことです。命の木から食べることによって、神への忠誠を示すのです。しかし、神は善悪を知る木から取って食べることを禁じられました。神の声に聞き従わずに、善悪を知る木から取って食べることは、神に反対することを意味していたのです(創世記2:7〜25節)。
しかし、この善悪を知る木のことで、サタンが蛇のふりをして神よりも説得力のある方法で、「へび自身も、禁じられた実を食べ」(『人類のあけぼの』上40頁)という実際に食べて死なない姿を見せながら、神の言っている「善悪を知る木から取って食べること」は悪いことではないと、エバをだまそうとします(創世記2:1)。このことから、
①人間の理性は、神とサタンのどちらが正しいのかを判断できるほど安全ではない。
②神の言葉はどんなときでも常に正しく信頼できる。
③神は様々なものを用いて、神に従えるのか私たちをテストする。
という3つのことが教えられています。
3.月曜日:蛇に欺かれて
蛇の姿になったサタンは、エバを誘惑するために、エバが蛇の言うことを信じるような言葉を用いました。「園のどの木からも食べてはいけない、などと本当に神は言われたのか」(創世記3:1)と、わざと間違った質問をエバにすることで、思わず、間違いを正し、正しいことを言って教えてあげようと、いい気持ちにさせ、エバを油断させました。エバは、自分が一人なのに気付いたときに、身の危険を感じましたが、自分には悪を見分けて、それを退ける知恵と力が十分にあると考えて落ち着こうとしました。その実は、非常に美しく、エバは、なぜ神がこれを禁じられたのかと疑問を抱きました。蛇は、それに触っても害はなかったのだから、その実を食べても大丈夫だと言います。エバは、触っても何も悪いことが起こらないので、だんだん大胆になり、食べてしまいます。
「悪」が入り込んでくる4つのことがあります。
①誰でもしているから大丈夫。
②小さなことだから気づかれないだろう。
③たった一度のことだから。
④まだ若いから、時間があるからやめられるだろう。
サタンに騙されないように、悪について学ぶことは大切なことかもしれませんが、実際にその悪いことを行う必要はないのです。
4.火曜日:「決して死ぬことはないでしょう」
サタンはエバに「決して死ぬことはない。それを食べると、目が開け、神のように善悪を知るものになることを神はご存じなのだ」(創世記3:4、5)と教えましたが、この嘘が現在も多くの人を悩ませています。霊魂不滅という「死んだら、肉体は朽ちるが、精神・魂・霊・心は肉体から離脱して、霊の世界に登っていく」という説です。ある時期がきたら、それぞれ、天国に行き、極楽に行き、ある人は地獄に行くという説です。もし死者が天国にいるとするのなら、その魂は目や口があり、話したり、聞いたりすることができるのでしょうか。もしも本当に私が死んで霊の世界、天国から魂の状態で目と口、耳を持っており、見聞きできるなら、地上に残してきた自分の家族のその後を眺めていて幸せなのだろうかと疑問もおこります。このような考えも起こす、「決して死ぬことはない」と、断言して蛇はエバから現在までの人々を神から離れさせようとしているのです。
5.水曜日:罪の結果
「このようなわけで、ひとりの人によって、罪がこの世にはいり、また罪によって死がはいってきたように、こうして、すべての人が罪を犯したので、死が全人類にはいり込んだのである。」(ローマ5:12 口語訳)。
アダムとエバが犯した罪(神さまとの約束を破った)の結果、世界に死が入り込みました。それまでは仲良しだった人間と動物、自然との関係が壊れました。ここから茨やアザミなど人を傷つける草や、動物たちが食べるためや権力を得るために命を奪うようになったと聖書は教えています。しかし、神は罪の問題に対する解決も用意されます。創世記3:15(口語訳)「わたしは恨みをおく、/おまえと女とのあいだに、/おまえのすえと女のすえとの間に。彼はおまえのかしらを砕き、/おまえは彼のかかとを砕くであろう」と。神は正しい方であり、愛のお方です。罪に対して、裁くということと許すということができるお方です。ローマ1:18(口語訳)に「神の怒りは、不義をもって真理をはばもうとする人間のあらゆる不信心と不義とに対して、天から啓示される。」とあります。この神の怒りは、子羊(イエス・キリスト)に降りかかりました。神はご自分が犠牲となって、罪から人類を解放されました。神の子であるイエスは、アダムから再臨までの全人類の犯した罪を肩代わりするために十字架にかかられました。
6.木曜日:最初の福音の約束
罪(神さまとの約束を破った)の結果、アダムとエバは神様が用意したエデンの園から出ていかなければならなくなりました。このとき、アダムとエバは神から羊の毛皮の服をあたえられます。アダムとエバに毛皮の服を与えるために神は、羊を犠牲になさいました。「もし、ひとりの罪過によって、そのひとりをとおして死が支配するに至ったとすれば、まして、あふれるばかりの恵みと義の賜物とを受けている者たちは、ひとりのイエス・キリストをとおし、いのちにあって、さらに力強く支配するはずではないか。このようなわけで、ひとりの罪過によってすべての人が罪に定められたように、ひとりの義なる行為によって、いのちを得させる義がすべての人に及ぶのである」(ローマ5:17-18 口語訳)。
これは代表選であらわされる救いです。
① 最初の戦いで、人類の代表者アダムと蛇の姿で誘惑してきたサタンの戦いがあります。この戦いに人類は敗北して罪が入りました。
② 次の戦いは人類の代表として、人となられた神、イエス・キリストとサタンの戦いです。この戦いでイエスが勝利して、私たち人類は罪からの解放を得ました。キリストの勝利によって、罪からの解放は私たちに与えられました。
7.金曜日:さらなる研究
世の中には、一度死んで帰ってきた臨死体験をした人々がいるといわれます。2014年9月14日放送のNHK特集で、臨死体験が実際にあるのかということが取り上げられていましたが、この結論は、臨死体験はない。脳が作り上げた架空の情報であるという結論が出されていました。私個人の中学時代の体験ですが、理科の授業で、先生が見せてくれたクロロホルムという、吸うと意識が無くなる薬を、友達が自分の制服の袖に染み込ませて、後ろから私の鼻に押し付けてきました。私は驚いて、息を深く吸ってしまい意識を失ってしまいました。意識が無くなる瞬間、私はツツジの花がいっぱいに咲き誇った山の中を鹿が私に会いに来て、「ここから帰りなさい」と言われて、意識が戻っていきました。この体験から私は、人のイメージする力が強く、まして死んだ状態から回復すれば、それは天の国から帰ってきたように感じるものかもしれないと確信しました。何を信じてよいかわからない時代だからこそ、聖書が言うように神からくるものを信じて歩んでいきましょう。
ディスカッションのためのテーマ
・神様に従っていくために様々なことを通してテストされるとあります。どのような体験をしたことがありますか。神様を選ぶ理由はありますか。(日曜日)
・神に代わって自分が正しいと第一にしてしまうことが無いように、どのように気を付けることができますか。
・サタンに負けないように、気を付けて歩むためにはどのように生きることがよいでしょうか。