PDFダウンロードルビ付きの原稿はPDFからご覧ください
第11課 イエスの物語を伝える 小濱守宏
1.安息日午後
今週は、イエス様を証しする人について、学びたいと思います。神様は、なぜ証しをするようにすすめておられるのでしょうか。また、証しとはなんでしょうか、調べてみましょう。
まず、神様が証しをすすめている訳を見てみましょう。福音に触れた人は苦しみから喜びへと変化がともないます。その変化が友人や知人、周りの人々に神様を伝える大きな役割を果たします。聖書は、イエス様と出会い、大きく変えられた人の証しでいっぱいです。今週のSSガイドの前半に「変えられた」という変化したという言葉が約10回も使われています。私たちもイエス様の愛に触れることによって「変えられた」喜びを確認したいと思います。
次に証しの内容について、ガイドは、「証しとは、私たちがイエスについて知っていることを伝えることです。」とありました。イエス様について聖書から学ぶ時、私たちは、イエス様をより深く知り、喜びをお伝えすることができるかも知れません。
2.日曜日:イエスー私たちの証しの基礎
イエス様と出会った時期は、人それぞれです。ある人は、クリスチャン家庭に育ち、生まれた瞬間からイエス様の名前を耳にするかもしれません。別の人は、学生の時、ある人は、晩年にイエス様と出会う人もいるでしょう。不思議なものでイエス様との出会いは、いつも新鮮です。うわべだけの出会いではなく、心の奥底からの交わりは、いつも新鮮で新たな関係へと導き、「救いという賜物を受け取りました。・・・・・・人生は新しい意味と目的を」与えてくれます。例えば、エフェソ2章にあるように「この世を支配する者・・・不従順な者たちの内に今も働く霊に従い、過ちと罪を犯して歩んで」(2節)いた自分に気づかされます。自分の思うように人を裁き、自分をいい人だと勘違いしていて、幸せな思いに満たされる事はなく、不安と不満でいっぱいでした。人を通してイエス様を紹介され、イエス様に触れ、神様の愛を知り「・・恵みにより、信仰によって救われました。このことは、自らの力によるのではなく、神の賜物」(8節)で救われた事実を受けとった時に心は軽くなりました。この喜びの体験が証しの基礎となるのだと思います。
3.月曜日:人を変える個人的な証しの原動力
ゼベダイの子ヨハネとヤコブは、「雷の子」(マルコ3:17)と呼ばれるほど短気でした。イエス様と共に神様の国を伝える働きをしていてもなかなか、怒りっぽい性格は直りませんでした。しかし、「イエス様の愛に触れる中、ヨハネの性急な行動や怒りは、愛情あふれる親切な・・・精神へ作り変えられました」ヨハネが変わったのは、神様の永遠の法則である愛に触れ続けたからです。証しの原動力は、イエス様の法則である「愛は愛によってのみ目覚めさせられる」愛の力が私たちの内にも働いていることを覚えたいと思います。
4.火曜日:イエスの物語を話す
イエス様の力は、私たちの想像を超えています。悪霊にとりつかれ、周りの人からもどうしようもないと思われ、もしかすると本人も絶望していたかもしれない人に、神様が近寄ってきて下さり、愛情を注がれました。悪霊にとりつかれた人は、心も体も癒され回復しました。もし、自分が悪霊に取り憑かれた人だったら、どう思うだろうかと考えました。皆さんは、どう感じますか。悪霊に取り憑かれた人は、「自分自身のうちにイエスがメシヤである証拠を」手に入れたのです。私たちも体験や学びで得た喜びをお伝えすることができますように、イエス様に祈りたいと思います。
5.水曜日:確信を持って証しする
神様は、私たちの心にちゃんと働いてくださっているのでしょうかと、時たま思うことがあります。なぜなら、悪い思いに支配されたり、失敗したりするからです。本当に神様は、私たちの心にいてくださっているのか聖書を使って調べてみたいと思います。
第一ヨハネ5:13節には、こう書いてあります。「神の子の名を信じているあなたがたに、これらのことを書き送るのは、永遠の命を得ていることを悟らせたいからです。」とあります。ガイドには、「もし私たちがイエスにある救いの確信を個人的に持っていなければ、それをほかの人に伝えることはできません。」とあります。
聖書の言葉をそのまま信じ、そして、私たちがいかに神様に愛されているかを瞑想する(心に思う)時、聖霊様が働いてくださって私たちの心に確信を与えてくださる事は、間違いなしです。
私たちは、「永遠の命」を既に得ているのです。そのことを喜びたいと思います。
6.木曜日:証しをするに値すること
こんな経験はないでしょうか。新品の靴に変えた時、今まで馴染んでいた古い靴に履きかえた事はないでしょうか。変わること、変化は、はじめはとても体に馴染まないものです。今までの生活を変えるように神様に示され、新しい思い、例えば、「何だあんなやつ無視してしまえ」と思っていたのが「気はすすまないけど、笑顔で挨拶してみよう」と自分の行動を変えたとします。このように、やりたくないことをやるということは心が痛い思いをします。実は、これが「キリストと共に十字架につけられる」という意味です。その後に私たちの心に起こる喜びは、神様を知る素晴らしい体験となり、この体験を証しする時、聞く人々にも大きな喜びが訪れます。
7.金曜日:さらなる研究
イエス様を伝えること、証しすることについて、あなたは、どう感じたでしょうか。
安息日に教会に出席し、SSガイドを学んでいるのですから、心から「神の子の名を信じるあなたがたに・・・永遠の命を得ていることを悟らせる」と神様は、おっしゃっているのですから体験したいと思いませんか。そして、もっともっとイエスと関係を深めていきませんか。きっと私たちは、イエス様の十字架の贖いの力でイエス様に似た性格に変化していくことと思います。
そして、生活態度も人に対する態度も変わっていきます。
イエス様から来る平安は、イエス様を伝える大きな力となると確信しています。
この喜びを友人やお知り合いにお伝えする事が、証しすることなのではないかと思います。
皆さんは、どう思いますか。