安息日学校部

ブラジルの希望の開拓者たち

ブラジルの希望の開拓者たち

1895年2月22日、開拓伝道者フランク・ウェストファルがブラジルに到着しました。彼は、およそ15年前、アドベンチストメッセージが、文書によって、サンタカタリーナ州にすでに届いていたことを知りました。

フランクとその妻メアリーは、米国ウィスコンシン州で活動を始め、フランクはドイツ語圏の人々に伝道しました。バトル・クリーク・カレッジで学び、ユニオン・カレッジで教えた後、召しを受けて宣教師となりました。1894年、世界総会は彼を南米に派遣する最初の牧師として任命しました。

1894年8月、フランクとメアリーは、息子と赤ちゃんの娘を連れ、アルゼンチンのブエノスアイレスに到着しました。アルゼンチン、ウルグアイ、パラグアイ、ブラジルを含む南アメリカ東海岸教区の総理に任命されたフランクは、早速アドベンチストたちが待つアルゼンチンのクレスポに向かいました。そして南米初のアドベンチスト教会の設立を支援しました。

それからフランクは、ブラジルに目を向けました。1894年7月18日から、フランクはサンパウロ州各地を訪れ、関心を持つ家族と集会を持ち、安息日学校を開始しました。そのうちの一つ、ピラシカバで、ブラジル人初の信徒となるギルヘルム・スタイン・ジュニアに、バプテスマを授けました。

フランクは、関心を持つ別の信者たちに会うために、ガスパル・アルトに行きました。集会を持つ場所を探しましたが、地元の宗教指導者の反対に遭い、川辺で集会を開くことにしました。 6月8日の安息日、聖餐式のあとに8人がバプテスマを受け、その数日後、さらに15人がバプテスマを受けました。そして、6月15日。15年前にアドベンチストメッセージが初めて届いた場所から、65キロも離れていないガスパル・アルトに、ブラジル初のアドベンチスト教会が設立されました。

5ヵ月間働いた後フランクは、ブエノスアイレスに戻ると、悲劇に見舞われました。帰国する2週間前の6月15日、娘のヘレンが病気のために亡くなったことを知るのです。ガスパル・アルトに教会ができた同じ日のことでした。

悲劇と苦難の中にあっても、彼らは奉仕し続け、南米で合計27年間働きました。

現在、ブラジルには170万人以上のアドベンチストがおり、18,000以上の教会や集会所があります。122人に1人がアドベンチストです。

フランクとメアリーのような開拓伝道者たちに、心から感謝したいと思います。

2023年2期アドベンチスト・ミッション
アドベンチストミッション