K・M(三育学院教会)
このユースラッシュにおいて私は、神様が伝道の働きを本当に導いてくださっているという実感を持ちました。
合宿が始まって数日、本は売れるもののこれが神様から与えられた出会いなのかといわれると、そこに確信はありませんでした。五日目の午後、その確信を祈り求めつつ、とぼとぼ歩いていたところ、タバコ屋を営んでいる70代くらいのお父さんに話しかけられました。
「お兄ちゃん何してるの!ちょっとここ座って」といった調子で、外にあるベンチに座るよう促されました。座って本をご紹介しながら、いつの間にか私たちはお互いに身の上話をしていました。
「俺は自転車で日本一周をしたときに死にかけた。それでも一命を取り留めた時に、寿命ってのは自分を超えた存在が与えてくれているって思ったんだよ」
お父さんはそういうわけで日蓮宗を信仰していました。「それぞれの違いがありますがね」などと宮崎の方言で相槌を打って、私は私の身の上話から転じて証をしました。
するとお父さんが「お前。気に入った」と言うんです。この時点で会話は20分ほどになっていたわけですが、お父さんの手元には『おいしくて体にいい穀菜食レシピ』と『トータルヘルス王国からの招待状』があり、この2冊の購入を検討してくださいました。
会計に移る際、お父さんが私に「お兄ちゃん、名前はなんていうんだ」と尋ねました。私もそのお父さんの豪胆な話しぶりに惹かれていたので、三育グループのチラシに名前を書いて見せます。お父さんが続けて「お前の父親は何をしている人だ」と尋ねるので、私は「弁護士です。祖父も弁護士で、辰巳って言います」と返したんです。
すると「辰巳の孫か」と言い、お父さんは表情を一変させて、もっと言えば嬉々として何かをつかんだような、明るい顔をしました。そして、その表情のまま「ちょっと待ってろ」と本を抱えて家に戻ったお父さんは、五千円札を手にして戻ってきました。
「これをやる。本は受け取らんでもいい」
私はキツネにつままれたような気になりました。それで何が何だかわからず咄嗟に『メサイア』(各時代の希望)を出して、「メサイアは、キリストの生涯を描いた本です」と、紹介しました。他宗教の方にこんな紹介をしても受け入れてもらえるはずがないのですが、思わず口走ったというような感覚でした。それでいて不思議と私には確信があったように思います。
後で判ったことなのですが、実は、このお父さんは私の祖父の知り合いだったのです。お父さんは、「こんな巡り会わせがあるのなら、キリスト様が神様かもな」と呟いて、キリスト教関連の本を全部で7冊選んでくれました。
「また語ろう。それまできっとキリスト様が守ってくれる」
私の中には、えも言えぬ喜びが沸き上がり、それはすぐに神様への感謝に変わりました。
神様はわたしたちの伝道の働きを本当に導いてくださっていました。祖父を通して、神様はその人と私を繋げ、時が来たときに私を導いて遣わしてくださいました。
私はこの文書伝道を通して、新しい信仰を受けました。神様は疑っていた私の祈りに答えて、全てを益としてくださる出会いを与えてくださいました。
私は、差し伸べられているイエス様の手に頼りきれないことがよくあります。しかしイエス様は疑った私を見放されず、なお実体験を通して新たな信仰を与えてくださるお方です。
また、他にも会話の中で訪問先の方の心が変えられる経験をして、神様に対しての信仰が改めて深まりました。
とある古民家を訪問しようとインターホンを押すと、後ろから声がしました。
「そこ、人住んでないですよー」
パッと振り返ると40代くらいのお父さんがこちらを向いていたので、「ありがとうございます〜」とその古民家を出ようとすると、そのお父さんはそそくさと自宅に入ろうとしました。今回のユースラッシュは私の地元開催だったのですが、奇遇にも私の母校のステッカーが貼られている自転車があったので、「お子さん、〇〇高校なんですね。僕もです」とだけ声をかけて次の家に向かおうとすると、お父さんは家の中に入ろうと開けていたドアを閉じてこちらに向かって歩いてきました。
「子供だけじゃなくて、僕も〇〇高校出身なんですよ」
実は、そのお父さんの家は、私のペアの人が既に訪問し、インターホン越しに断られていた家でした。
お父さんは本ではなく私に興味を持ってくださった様子だったので、私は身の上話をしながら本を紹介しました。
「そういうわけで、僕は神様はいるなと思ったんです」
と、自然と証をする流れになり、祈りつつ話をするとお父さんが
「僕もアメリカで英語を学ぶために教会に行ったことがあるので、キリスト教やクリスチャンにはいい印象を持っています」
と話してくれました。
「これは!」と思い、私は『メサイア』を差し出したのですが、すぐには受け取ってもらえませんでした。ただ、せっかくの縁だからと、1番安い本だけ購入してくださいました。
「もう少しあなたの話を聞かせてよ」
そう言われた私は自分の話をしながら、『メサイア』を手に取ってくれるよう心の中で熱心に祈り求めました。興味を持ってくださったこの方にイエス様と出会って欲しいと心から思い、今、自分が神様にどういう印象を持っているのか、神様はいると思うのかなどを語ると、お父さんは少し真剣な表情で聞いてくれるようになりました。その表情や仕草を見て私は、意を決して再び『メサイア』を紹介しました。
「僕の信じているキリストについて、この一冊だけでよくわかります。」
するとお父さんは間髪入れずに「それも、ください」と仰いました。
結果として、その日お父さんはメサイアに加えて『その宗教は本物か』と『笑顔で暮らそう』の計3冊を購入してくださり、その後、お父さんの名前を挙げて祈る機会も与えられました。
先日、それから数日経ってその家の近くを通ったとき、私は様子が気になってその家を再訪問してみました。
「様子はいかがですか〜」
私は挨拶に加えて聖書通信講座の案内葉書を渡しました。それを渡すことは私にとってとてもハードルの高いことでした。
「本を読んで、もし聖書に興味がありましたら書き入れて投函してください」
と勇気をもって言うと、お父さんは
「宗教について、ちゃんと考えてみようと思います」
と言われたのです。
実は、この方は、その数日の間に宗教関連のテレビをご覧になっていたようで、前のめりにそう仰いました。私は会話の中で、またお父さんの生活の中で、神様が人の心を開いて変えてくださる経験をしました。そしてその経験を通して、私の心は燃えるように熱くなりました。
ユースラッシュにおいてインターホンを押すとき、私はいつもドアの前に1人です。しかし、ルカによる福音書24章において、エマオで弟子たちが気づかない間もイエス様が共に歩かれたように、そこにはいつもイエス様が共にいてくださいました。そしてイエス様の存在に気付いたとき、私は訪問中に自らの心が燃えていたことを思い起こします。