S・S(三育学院教会)
午前中の訪問も終わりに近づき、お昼の12時を回っていた頃でした。暑い中、休憩をして、次のブロックを回ろうとお祈りをしました。
インターホンを押すと、50代、60代のおばさんが出てきました。その人は、本がある私の手元を気にしながら、顔には警戒心が張り付いていました。緊張してはならないと、自分に言い聞かせながら、1冊の健康に関する本を差し出すと、「私、このような仕事をしてたから詳しいです。大丈夫です」と断られました。
この時、看護学生をしている身としては、話が繋げられるかもしれないと思いました。それから自己紹介を進めていると、看護師をしておられたことを教えてくれました。「共通点が多いですね」という一言でおばさんの表情も和み、笑ってくださいました。そして、最後に小さな本を紹介すると、「じゃあこれだけなら」と言って家の奥に戻って行かれました。そして奥のドアから顔を出して、「一人?」と聞かれ、「はい」と答えると、「暑いから、熱中症に気をつけて」と言って、お金と一緒にペットボトルのお茶をくださいました。それからしばらく話していると、「これも何かのご縁かもね」と言われました。
その時に、この1つ1つの出会いのために私たちはこうして歩いて1軒1軒を歩いているのかも知れないと思いました。そして、この出会い1つひとつは、神様が与えてくださったものなのだと思いました。
その方には小さな健康の本をお渡しすることができ、そして最後には、お祈りも一緒にすることができました。また、お祈りを通してその人と繋がることができたことを神様に感謝しました。
別れ際、「あと4年あるけど大学でも頑張ってね」と、励ましの言葉をいただき、お庭までお見送りしていただきました。初めて会った人とお祈りまでできることは、インターホンを押した瞬間には、考えられもしなかったことでした。
10軒の家を回って、1軒や2軒、やっと扉を開けてくれる人と出会うような日もあります。また、そこから、本を買ってくれる人も数少ないです。しかし、その1人との出会いのために私たちは1軒1軒の家のインターホンを押しているのかもしれないと思いました。なぜこんなに買ってくれる人が少ないのか?と考えてしまうこともありましたが、神様の力ではなく、自分の力だけで走ろうとしていた自分が、どこか無意識にいたのかもしれない、と気づくことができました。この時、神様に自分のことをそのまま委ねること、そしてそれをそのまま信じることの大切さを改めて感じました。
出会うために。繋がるために。そして、私たちを通して神様を知って、感じてもらい、必要な人に伝えるために。伝道に出るのかもしれないと思いました。
しかし、出会えなかった方々のことを想っていないというわけではないのです。なぜなら、今、私の頭には本を渡せなかった人、扉を開けてくれなかったお家の方が浮かぶからです。だからこそ、本を渡すことがでなかった人、扉を開けられなかった人のことを想います。
その方々がいつか神様と出会えること、そしてまたどこかで出会えることを祈っています。
伝えるために

- 実を結べる人に
- 祈ったとおりに