M・T(三育学院教会)
今回のユースラッシュで私は、1人のエホバの証人の方と出会いました。50代くらいの女性の方で、広いお家を何やら1人で片付けている様子でした。
その方に健康に関する本を紹介した所、実は母親が病気で、食べるものには気をつけているという話をして下さいました。話は弾んでその方がエホバの証人の信者である事をお聞きしました。
集会にはあまり行っていないようでしたが、エホバの証人から提供される本と聖書を使って個人的に聖書の学びをしている人でした。
私が福音社の本の紹介をしていると、その方はエホバの証人で普段読まれている本を沢山持ってきて紹介して下さいました。イエス・キリストは神の子では無いといった、アドベンチストとは考えの違う教えが書いてありました。しかしその方はそれを本当に信じていて、聖句箇所を見ないで言えるほど熱心で、また本にも多くの書き込みをしていました。
エホバの証人の方から貰った本があるからという理由で、本は買われなかったのですが、『笑顔で暮らそう』という小さな冊子を買って下さいました。その後、私は言われました。
「このエホバの証人さんから貰った本ならまだあるけど、いる?」
私はこの方が福音社の本を買わなかったように、そのお誘いを断ってしまいました。
そして、その事を今もずっと後悔しています。相手の考えていることや価値観を知ろうとしなかったからです。
イエス様は福音を宣べ伝える時、その人その人の環境、生活、文化で培った価値観を理解した上で、その人に適した対応で伝道されました。
「わたしは、だれに対しても自由な者ですが、すべての人の奴隷になりました。できるだけ多くの人を得るためです。 ユダヤ人に対しては、ユダヤ人のようになりました。ユダヤ人を得るためです。律法に支配されている人に対しては、わたし自身はそうではないのですが、律法に支配されている人のようになりました。律法に支配されている人を得るためです。」(コリントの信徒への手紙一 9:19-22)
私はエホバの証人の本を受け取ったということを周りに知られたくないという理由から本を貰うことを拒否しました。
しかし、それではその方の価値観を理解出来ないことに気づきました。その方の今まで触れてきたエホバの証人という環境を理解せずに、私たちの信じているセブンスデー・アドベンチストの価値観だけを伝えようとしていたような気がしました。
ユースラッシュでは相手のことを良く知った上で、その人に合った本を紹介するためのトレーニングをします。私はその方に対してユースラッシュの方法を実践していると思っていました。もちろん、会話が弾んだ中で家族の話やエホバの証人についての話が出来ました。しかし自分でも無意識のうちに、(敢えて言葉を選ばずに表現すると)差別的な目で見ていて、本当のところは相手の事を知ろうとしなかっただけであったと気付かされました。
天国に行ったら唯一できない事は、何だと思いますか?
それは伝道です。伝道は地上にいる今しか出来ません。私は今あの時出会ったエホバの証人の方に、本当にイエス・キリストの愛を知って欲しいと強く思っています。もう一度会って、相手の事をよく知って愛を伝えたいと思いました。だから後悔しています。
しかし、希望はまだあります。
もしこれから先、私がその人に出会うことがなくても、あの日出会えたのは神様の御心だったと信じています。種が撒かれたと信じています。
そして今後は、私もより良い種を撒くことができるように、相手の事を知るなど、自分で出来る最大限の事をしたいと思いました。
この証を読んでくださっているあなたも、もし神様の事を周りの人に伝えたいと思っているなら、本当のキリストの愛を知らない人の為にお祈り下さい。そしてこのユースラッシュで神様に導かれる人が1人でも多く与えられるようにお祈り下さい。きっと神様は神様のタイミングで私たちを遣わしてくださいます。
私も、全力で神様に任せて、自分の出来る最大限で神様に仕えられたらと思います。
話題は変わりますが、今回のユースラッシュは私にとって挑戦でした。
なぜなら私は知らない人と話すことが苦手だからです。そう考えている理由が2つあります。
1つ目は人の顔色を伺って話したり行動したりする癖があるからです。今喋っている人は、嬉しいこと、悲しいことがあったのかなど、相手がどういう気持ちなのかを考えて、私は相手から嫌われないように接してきました。
2つ目は、私がクリスチャンだと言うことを相手が知った時に、どんな反応をされるか分からなかったからです。今までキリスト教系の学校に行っていたり教会に行っていたりというのもあり、中々ノンクリスチャンや他宗教の方とお会いする機会がありませんでした。なので私がクリスチャンだということを知らない人と接する時はどこか緊張感がありました。このような理由から私は、知らない人と話すことが苦手だと感じていました。
それで、合宿が始まってから最初のうちは、自分から訪問しているのに相手に迷惑ではないか、時間を奪っているのではないかと考え、上手くいかないことも多くありました。
しかしトレーニングや日々の礼拝やディボーションを重ねていくうちに、どのようにすれば本が売れるのか、訪問先の人と仲良くなれるのか、この福音社の本を届けるということはどういう意味で神様の御心なのかを学ぶことができました。そして徐々に訪問先で会話を続けられるようになり、本を買って頂くことが多くなりました。買って頂いた時はこの人にも福音を伝える種が撒かれたと確信でき、嬉しかったのを覚えています。
私は以前、知らない人の家に本を売り歩いている人達はすごい度胸のある人達だと思っていました。訪問販売なので時にはそういったセールスをよく思わない方もいて、心無い言葉や断りをされることもあるからです。自分は傷つきたくないと思っていました。
そんな不安がユースラッシュが始まる前にあったので、何度も参加していた先輩に「やっぱりユースラッシュって大変ですか?それとも楽しいですか?」と聞いてみました。
するとその先輩は「大変とか楽しいじゃなくて、神様のために行かなきゃって思った」と答えて下さいました。私はこの返答にはっとさせられました。これは神様のためにやるもので、もし自分にその力が少しでもあるなら、ユースラッシュに行くべきだと感じました。足りないところは全て神さまに委ねて用いてもらおうと思いました。
今回のユースラッシュでたくさんの人に出会いました。
たまたま地元が一緒で話がはずみ本を買ってくれた人、私が会話を上手く繋げなくても優しく聞いてくれてこの本買いますよと言ってくれた同い年の人、仏教を信じているけど一緒にお祈りしてくれた人、福音社の事を知っていた本屋さんの人、本を買ってくれたエホバの証人の信者の人など、ここでしか出会えなかった人がいました。出会えたことに本当に感謝しています。自分の弱さに気づいて落ち込む事も多くありましたが、それ以上に出会えた人達の温かさや、クリスチャンとして皆が受け入れてくれたことなど、受けた祝福は多かったと感じました。
このユースラッシュで、神様に委ねることの大切さに気づきました。また、知らない人と話すことやクリスチャンであることを明かすのに少し緊張するような私がユースラッシュに参加したことを通して、自分の利己的な思いではなく神様を第一にし、献身したいと思いました。また、自分1人では弱くて何もできないということに改めて気付かされる体験もできました。
今回のユースラッシュに参加出来て本当に良かったです。このユースラッシュは私にとって挑戦でしたが、同時に、自分の信仰が大きく励まされた経験だったと、今振り返って思います。
このユースラッシュに導いてくれた神様、本を紹介する時に一緒に居てくれた神様に心から感謝しています。
「わたしたちは、何事も真理に逆らってはできませんが、真理のためならばできます。」(コリントの信徒への手紙二 13:8 新共同訳)