A・A(小田原教会)
ユースラッシュ合宿が始まる前に、友達が突然こう言ってきました。
「イエス様って100%人間になったんだね。なんだかすごいね」
わたしはその時、そんなの知っているよという気持ちで話を聞いていました。
しかし、ユースラッシュが始まってから、自分のことを手放すのがどれほど難しいかを痛感しました。
自分にはできない。自分がやっている意味はあるのか。主語がいつでも自分になってしまって、神さまに全て委ねるということができませんでした。
そんなときに、友達の言葉を思い出して、ハッとさせられました。
「なぜ、わたしは何もできない自分を手放すことができないのだろう」
「イエス様は、わたしたちのために、何でもできる自分を手放してくださったのか」
私は、イエス様が100%私たちのために献身してくれたことを考えて、心から感謝したことがあったかな、1回もなかったなと気付かされました。
また、文書伝道は断られる方が多い働きです。インターホンを押しては断られ、押しては断られ、その繰り返しで、心が疲れてきてしまう時に、私はこの聖句を思い出しました。
「人の子は失われた者を探し出して、救うために来たのだ」(ルカによる福音書19章10節)
私は、この働きを2週間ほどしかしていません。しかし、神さまは年中無休でこの働きをしてくださっています。
私たちを探して、近くまで来て、こう言われます。「わたしはあなたを愛している。わたしは生きている。わたしは悪人の死を喜ばない。むしろ悪人が、その道を離れて生きるのを喜ぶ。あなたがたは心を翻せ、心を翻してその悪しき道を離れよ。イスラエルの家よ、あなたはどうして死んでよかろうか 」(エゼキエル書33章11節)
断られても、嫌な顔をされても、そう言い続ける神さまは、なんて報われない働きをしているんだろう。そのことを思い出して、何だか涙が出てきてしまいました。
再臨が近い時代を生きる私たちは、持っているものを失い、信頼しているものにはことごとく裏切られると聖書に書いてあります。
しかし、私には、私のために命を捧げてくださったイエス様がいる。それだけは揺らぐことがないものです。
「イエスは、また人々に語ってこう言われた、『わたしは世の光である。わたしに従って来る者は、やみのうちを歩くことがなく、命の光をもつであろう』」ヨハネによる福音書8章12節
私の周りには、唯一の光であるイエス様を知らない人が大勢います。
再臨は怖いから、考えないようにしていると言っていた友人、再臨前のこととかあまり言わないで、と言っていた人もいます。
しかし、神さま私たちに語りかけているのは、再臨前このような恐ろしいことが起こる、あなたたちは滅びるというような脅しの言葉ではなく、どうか私の元に来て、生きてくれという神さまの切実な願いです。
これから、私たちが配った文書が神さまの手によって大いに用いられ、真理を求める人の光となりますように。
この2週間弱の間、神さまの言葉を届けるという大切な働きをさせていただいたことに心から感謝します。
「わたしたちは、真理に逆らっては何をする力もなく、真理にしたがえば力がある」(コリントの第二の手紙13章8節)