文書伝道部

伝道文書一斉配布日奨励メッセージ

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説教題:無言の使者

聖書朗読:詩編107:20

テーマ:わたしたちには表しきれないイエスの品性は、印刷物によって表される。自分では十分に神を証しすることができないのならば、印刷物を有効に活用して、神を証ししましょう。

 

無言の発信力

  • 沈黙の実況

2018年夏の全国高校野球選手権大会の準々決勝は、秋田代表の金足農業高校と滋賀代表の近江高校との試合でした。2対1で近江高校の1点リードで迎えた9回裏の金足農業の攻撃は、ノーアウト満塁となり、一打で同点、長打であればサヨナラ勝ちという緊迫した場面で、金足農業のスクイズが決まり、3塁ランナーだけでなく、2塁ランナーも一気にホームインして、サヨナラ勝ちを収めました。

この2ランスクイズという劇的なサヨナラの場面で、2塁ランナーが一気にホームインして試合終了となった時点から、NHKの実況アナウンサーは約50秒間沈黙しました。実況アナウンサーが「サヨナラー!!」と叫んだ後、沈黙し、テレビからは、観客の大歓声と歓喜にあふれる金足農業の選手たち、立ち上がることのできない2年生キャッチャーと泣き崩れる2年生ピッチャー、それを慰める3年生の先輩たち、呆然とする近江高校応援団の様子が実況なしで流され続けたのです。

実況アナウンサーの演出なのか、あまりにも劇的な幕切れに言葉を失ってしまったのかは分かりませんが、結果として実況するよりも多くのことが伝わったのではないでしょうか。

 

  • 無言という表現力

何かを伝える情報伝達手段としての言葉は、とても貴重なものです。しかし、時にその言葉をあえて封印することによって伝わることがあります。日本には「雄弁は銀、沈黙は金」ということわざがあり、聖書にも「無知な者も黙っていれば知恵があると思われ/唇を閉じれば聡明だと思われる」(箴言17:28)という言葉があるように、時に沈黙によって、物事はうまく運び、伝えたいことが伝わることがあるのです。

情報伝達手段としての言葉は貴重なものではありますが、あえて口では何も語らないことによって伝わることがあるのです。

 

  • キリストによる口止め

福音書を見てみると、ときどきキリストは「今あったことは誰にも話してはいけない」と口止めしている場面があります。

イエスはすぐにその人を立ち去らせようとし、厳しく注意して、言われた。「だれにも、何も話さないように気をつけなさい。ただ、行って祭司に体を見せ、モーセが定めたものを清めのために献げて、人々に証明しなさい。」

マルコによる福音書1:43-44

重い皮膚病をいやされた人は、単に病気が治ることだけを望んでいたのではなく、社会復帰し人間としての尊厳を回復することを望んでいました。そのためには祭司によって認められなければなりませんでした。しかし、その権限を持っている祭司の中にはイエスと敵対している者もいましたので、イエスによっていやされたと言えば、意地悪をされて認められないこともあり得ました。イエスはそんなことを知っていたので、あえて語ることを禁じ、見せることによって証しをするようにとアドバイスしたのではないでしょうか。「語る以外の方法で証明しなさい」と命じたのです。

 

神の願い

  • あなたがたの行いで

重い皮膚病がいやされた人に限らず、イエスはそのご生涯を通して、弟子たちを証しすることのできる人物へと訓練しようとされました。もちろん言葉によって証しすることも教えられましたが、強調されていたのは言葉ではない表現方法で神を証しすることであったと思われます。

そのように、あなたがたの光を人々の前に輝かしなさい。人々が、あなたがたの立派な行いを見て、あなたがたの天の父をあがめるようになるためである。」

マタイによる福音書5:16

イエスは宗教指導者たちが自分の行いをひけらかすようなことに対しては厳しくとがめられています。それは、神がどんな方なのかを伝えることを目的としておらずに、自分がどれだけ尊敬に値する人物なのかという猛烈な自己アピールであったからです。

しかし、天の父なる神様がどのような方であるのかを人々に伝えるためには、言葉以上の「立派な行い」が必要だと教えられたのです。自分のための「立派な行い」ではなく、神のための「立派な行い」が必要だと教えられたのです。

イエスは、人々はあなたがたの立派な行いを見るとき、天の父をあがめるようになると言われました。その教えを心にとめていたペトロは、手紙において、御言葉を信じない、神を受け入れない夫を信仰に導く方法を教えました。

同じように、妻たちよ、自分の夫に従いなさい。夫が御言葉を信じない人であっても、妻の無言の行いによって信仰に導かれるようになるためです。神を畏れるあなたがたの純真な生活を見るからです。

ペトロの手紙一3:1,2

御言葉を受け入れない夫を信仰に導くのは、無言の行いです。外面的な装いではなく、内面的な人柄が重要だと教えられています。無言の行いとは、神を畏れる妻の純真な生活です。

  • イエスの行い

イエスが言葉を巧みに使って宣教したことは間違いありませんが、多くの人はイエスの教え以上にイエスの行いを喜んだようです。そして、イエスの行いによって、天の父の自分たちに対する関心がまだ失われていないどころか、ものすごい情熱が注がれていることを知ったのです。

こう言われると、反対者は皆恥じ入ったが、群衆はこぞって、イエスがなさった数々のすばらしい行いを見て喜んだ。

ルカによる福音書13:17

「神はあなたを見捨てない」というイエスの言葉以上に、イエスのなさった数々のすばらしい行いは人々を喜ばせました。イエスの行いにこそ、父なる神様の無言のメッセージが込められ、語られていたのです。

  • わたしが遣わされたように

イエスは弟子たちを遣わすとき、父なる神がイエスを遣わしたように遣わすと宣言されました。

イエスは重ねて言われた。「あなたがたに平和があるように。父がわたしをお遣わしになったように、わたしもあなたがたを遣わす。」

ヨハネによる福音書20:21

父がわたしをお遣わしになったように、わたしたちも遣わされているのであれば、イエスのように言葉だけでなく、行いによって神を語り、人々から喜ばれるようになることが期待されているのではないでしょうか。それは奇跡を行うということではなくて、人々が天の父をあがめることができるような行いをする、人々が体験的に天の父の愛情を知ることができるように働きかけることを意味しています。

 

イエスの品性の証しを

  • 無言の証しはキリストの品性

このような行いによって天の父を証しすること、無言の証しをするために必要なものは、キリストのような品性です。

『キリストの実物教訓』には、次のように書かれています。

品性は力である。真の生活、無我の生活、敬虔な生活による無言の証しは、反発することのできない影響力をもっている。私たちはその生活に、キリストのような品性を現すことによって、救霊の働きにおいてキリストに協力するのである。私たちがキリストに協力できるのは、ただ私たちの生活にキリストのご品性を現すことによるしかない。私たちの感化の範囲が広ければ広いほど、それだけよいことをなし得るのである。

エレン・G・ホワイト『キリストの実物教訓』316ページ

わたしたちの生活の中にキリストの品性が現わされるとき、無言の証しが語られるのです。わたしたちの生活の中にキリストの品性が現れるとは、端的に言えば、わたしたちの毎日の生活の中にクリスチャンとして生きることの魅力があふれていることです。「真の生活、無我の生活、敬虔な生活」がわたしたちの生活に見られるとき、わたしたちが黙っていても人々は天の父をあがめるようになるのです。

 

  • 無言の証しは印刷物

キリストのすべてを言葉で語り尽くすことは難しいことですが、それ以上に、行いによって、自分の生き様で、無言でキリストを証しすることは難しいのではないでしょうか。「それだったらできる」「簡単だ」と言える人は、いないのではないでしょうか。自分の人生のうちにキリストの品性を反映させることは、とても難しいことです。

しかし、エレン・G・ホワイトは、「真の生活、無我の生活、敬虔な生活」以外にも「無言の証し」があることを教えています。

主はこれらの書物を、全世界至る所にまき散らすようにとお命じになった。これらの書物には、受け入れる者にとって命より命に至る香りとなる真理がある。これらは神のために無言の証人である。

エレン・G・ホワイト『文書伝道』124ページ

ここで言われている神のための無言の証人とは、全世界にまき散らされる書物のことです。そこには「命より命に至る香りとなる真理」が証しされています。

パウロによれば、人々を命から命に至らせる香りとは、キリストを知った者から漂う香りです。その香りは、人々がキリストを知るきっかけとなるものです。

神に感謝します。神は、わたしたちをいつもキリストの勝利の行進に連ならせ、わたしたちを通じて至るところに、キリストを知るという知識の香りを漂わせてくださいます。救いの道をたどる者にとっても、滅びの道をたどる者にとっても、わたしたちはキリストによって神に献げられる良い香りです。滅びる者には死から死に至らせる香りであり、救われる者には命から命に至らせる香りです。このような務めにだれがふさわしいでしょうか。

コリントへの信徒への手紙二2:14-16

「命から命に至らせる香り」とは、言い換えるなら、その人からにじみ出るキリストのような品性です。その香りは、出版物、印刷物、文書からも漂うのです。文書は、わたしの品性ではどうやっても表すことのできない「キリストの品性」を表し、人々に感化を与えることのできる無言の使命者なのです。

多くの人は文書伝道という働きを誤解しているかもしれません。「真の生活、無我の生活、敬虔な生活」によってキリストの品性を兼ね備えている人にのみ許されている特別な人がする特別な働きだと考えている人がいるかもしれません。しかし、そうではありません。むしろ、それらのものが十分に備わっていないけれど、何とかして「キリストの品性」を表したい、神様のすばらしさを伝えたいと願う人に唯一残されている手段なのです。

一軒一軒を訪問し、ドアを叩き、販売するだけが文書伝道ではありません。わたしたちの品性の欠如を補う道具として、文書を活用し、キリストの品性を伝える伝道方法です。無言の証しである印刷物を手渡すことによって、自分にはない「キリストの品性」を証しすることができる、伝えることができるのです。

  • 文書の力

文書は「キリストの品性」を証しし、無言の使者となります。

ある教会の1人の女性が、突然バプテスマを受けたいと牧師に申し出ました。その教会には聖歌隊があり、教会員以外の方にもメンバーに加わっていただき活動しており、その女性も聖歌隊のメンバーでした。しかし、安息日の午前中には教会には来ておられず、午後の聖歌隊の練習から参加している方だったので、牧師とその女性はあまり交わりがありませんでした。

牧師は驚きましたが、どうして、突然バプテスマを受けたいと申し出たことも知りたかったので、さっそく一緒に聖書研究を始め、いろいろとお話を聞くうちに不思議なことが分かってきました。その方は長年のサインズの購読者だったのです。しかも、近所の銀行に置いてあったサインズを見て、これを購読したいと思い、福音社に連絡して購読を始め、更新に来られた文書伝道者から教会を紹介してもらったということでした。

その文書伝道者は、自分が通っている教会ではなく、その方の家から一番近くて通いやすい教会を紹介してくださり、それからもともと歌がお好きだったこともあり、聖歌隊に加わるようになりました。その後、文書伝道者は、毎年更新には来るものの、聖書や信仰についての深い話をそんなになさらずに、少しだけ話をして帰るという関係が10年以上も続きました。

歴代の牧師も安息日に聖歌隊のためだけに教会に来られていたその女性とほとんど接点がなく、信仰的な交わりをしたことはほとんどありませんでした。毎週の聖歌隊のメンバーとの賛美を通した交わり、毎月届けられるサインズ、毎年の文書伝道者の訪問は、いずれも言葉によってダイレクトにキリストを証ししたものではありませんでした。

しかし、長い時間をかけて、確かにキリストの品性は証しされていた。人との交わりは確かにありましたが、サインズを通しても神は証しされており、その方は天の父をあがめるようになるに至ったのです。

 

まとめ

無言の使者である文書が、一つでも多くの家庭に届けられるとき、その家の人々に福音が届けられます。そして、その届けられた福音文書がキリストを証ししてくれます。時間はかかるかもしれませんが、じわじわと、じっくりと働き続けるのが福音文書です。

一つでも多くの家庭に届けるためには、一人でも多くの文書を届ける人が必要です。

文書伝道の分野は、新しい働き人を必要としている。この働きに主の精神で携わる者は、真理を求めている人々の家庭に導かれる。こうした人々に、彼らは十字架の物語をやさしく語ることができる。そして神は、彼らが他の人々を光に導く時、彼らを強め、祝福なさるのである。

エレン・G・ホワイト『文書伝道』16ページ

「主の精神」とは、「失われた人を捜して救いたい」(ルカ19:10)という精神のことです。わたしたちが同じ精神で文書を配布するとき、その文書は「無言の使者」として、キリストの香りを放ち、真理を求めている人々に届けられるのです。そして、福音を伝えることができるのです。

 

主は御言葉を遣わして彼らを癒し 破滅から彼らを救い出された。

詩編107:20

 

わたしたちの配布する福音文書は、キリストの品性を表し、人々を癒し、救うことができます。「言」となってこの世界に来られたキリストを福音として伝えましょう。

※注文が多い場合はセット数調整します。この価格での提供は今回の締切日(4日7日)までです。

※各教会の注文冊数に応じて4月の混載便で発送

この件についてのお問い合わせ等がございましたら下記へご連絡ください。

☎ 042-526-6828 FAX 042-526-6301  伝道局:文書伝道部長・青木泰樹