使徒パウロの伝道の原動力は、罪人の彼をゆるし救い、伝道者として召し出して下さったキリストの父なる神の愛にありました。その愛は圧倒的な力をもって彼に迫って勝利を与え、同胞の救いのための愛へ、すなわち伝道、救霊へと彼を駆り立てるのです。神はその独り子さえ惜しまず与えるほどに彼を愛して下さっているのです。
「だれが、キリストの愛からわたしたちを引き離すことができましょう。艱難か。苦しみか。迫害か。飢えか。裸か。危険か。剣か。……しかし、これらすべてのことにおいて、わたしたちは、わたしたちを愛してくださる方によって輝かしい勝利を収めています。わたしは確信しています。死も、命も、天使も、支配するものも、現在のものも、未来のものも、力あるものも、高い所にいるものも、低い所にいるものも、他のどんな被造物も、わたしたちの主キリスト・イエスによって示された神の愛から、わたしたちを引き離すことはできないのです。わたしはキリストに結ばれた者として真実を語り、偽りは言わない。わたしの良心も聖霊によって証ししていることですが、わたしには深い悲しみがあり、わたしの心には絶え間ない痛みがあります。わたし自身、兄弟たち、つまり肉による同胞のためならば、キリストから離され、神から見捨てられた者となってもよいとさえ思っています。……兄弟たち、わたしは彼らが救われることを心から願い、彼らのために神に祈っています」(ローマの信徒への手紙8章35節〜9章3節、10章1節)。
私たちが、救われてキリスト者となりセブンスデー・アドベンチストとなったのは何ゆえでしょうか。神は、どのようなご計画をもって私たちをこの罪の世界にあって救い出して下さったのでしょうか。
ある日キリストは、聖書の教えの中で最も大切な掟は何かと尋ねられたとき、明快に二つの掟をもって答えられました。一つ目は、私たち人間を愛とご計画のうちに創造し、救って下さった主なる神を全身全霊をもって愛すること。そして二つ目は、私の目の前にいる隣人を、自分を大切にするように大切にし、愛することでした(マタイによる福音書22章34〜40節)。創造主なる神を愛することは、実に隣人愛へと展開していくのです。
「『神を愛している』と言いながら兄弟を憎む者がいれば、それは偽り者です。目に見える兄弟を愛さない者は、目に見えない神を愛することができません」(ヨハネの手紙一・4章20節)と使徒ヨハネが言う通りです。
私たちが、神の愛、恵みによって救われたのは、他の人々を神の心をもって愛し、その幸福と救いのために奉仕するためです。神の愛がわかればわかるほど、人々への奉仕、伝道、救霊へと私たちは駆り立てられていくのです。神の命がけの愛によって救われた私たちは、命がけの愛をもって人々の救いのために献身するのです。神の恵みの愛に応え、人々の救霊愛に生きるのが、セブンスデー・アドンチストの生きる感謝と賛美と礼拝の道です。
教団総理 島田真澄 アドベンチスト・ライフ2017年6月号