セブンスデー・アドベンチスト教会

幻想の自分

幻想の自分

「自分のことは自分がいちばんわかっている」と言われますが、それは真理の一面でしかありません。自分には見えていないのに、他人には見えている部分があったりします。自分の体の状態も、私たちは全部わかるわけではありません。健康診断に行かなければわからないことはたくさんあります。

体の健康を守るために他人の力を借りなくてはならないように、私たちは心の健康、ひいては霊の健康を守るためにも兄弟姉妹たちの助けが必要です。私たちは祈り合う必要があるのです。また教会に集い、兄弟姉妹たちと交わる必要があるのです。その交わりの中で聖霊が私たちを教え、戒め、正しくし、義に導いてくださるのです。聖霊は聖徒の交わりの中で働かれます。

コロナによる隔離の中で聖徒の交わりは制限されました。オンラインやその他の手段でそれを補う努力を私たちはしてきましたが、カバーしきれない部分がどうしても残ります。私たちの多くが、顔と顔を合わせて兄弟姉妹が集うこと、あるいはお互いに訪問して励まし合うことの意義を再認識しているのではないかと思います。

一人で信仰を守っていけると思うとき、私たちは危険な場所に立っています。自分のことも、自分の霊的な状態もよくわかっていると過信しているからです。聖書記者たちは、自分の霊的状態は自分で判断できないということをよく知っていました。それゆえ詩編139編は次の言葉でしめくくられています。「神よ、わたしを究め/わたしの心を知ってください。わたしを試し、悩みを知ってください。御覧ください/わたしの内に迷いの道があるかどうかを。どうか、わたしをとこしえの道に導いてください」(詩編139編23、24節)。

私たちは兄弟姉妹との交わり、そして神との交わりを通して、心を探っていただく必要があります。それは決して愉快なことではありませんが、今期の聖書研究ガイドで学んでいる通り、試練を通して私たちは神に試していただかないといけないのです。私たち自身が自分の霊的状態を知るようになるためです。と言いますのは、預言者エレミヤが言うように、人の心はよろずのものよりも偽るものだからです。「心はよろずの物よりも偽るもので、はなはだしく悪に染まっている。だれがこれを、よく知ることができようか」(エレミヤ書17章9節/口語訳)。

神に探られる、試されることは痛みを伴います。しかし、痛みのないまま進行する病気がいちばん恐ろしいのです。神は、私たちを愛するが故に私たちを試し、探り、自分の真の状態に気づくようにしてくださいます。そのようにして私たちを癒やしてくださるのです。

*聖句は©️日本聖書協会

アドベンチスト・ライフ
2022年9月号
教団総理 稲田 豊