セブンスデー・アドベンチスト教会

伝統と革新

伝統と革新

「そこで、イエスは彼らに言われた、『それだから、天国のことを学んだ学者は、新しいものと古いものとを、その倉から取り出す一家の主人のようなものである』」(マタイによる福音書1352節、JA1955

「天国のことを学んだ学者」を国際英語訳では「天国の弟子とされた律法の教師」と訳しています。ここでいう学者、律法の教師とは、聖書を学ぶ者のことです。聖書の告げる神の国、天国の到来を聖霊によって聞き取り、その希望と使信に生きる者を指します。

イエスの宣教の第一声は次の言葉でした。「この時からイエスは教を宣べはじめて言われた、『悔い改めよ、天国は近づいた』」(マタイによる福音書417節、同)

マルコは天国の代わりに、神の国という言葉を用いています。「時は満ちた、神の国は近づいた。悔い改めて福音を信ぜよ」(マルコによる福音書115節、同)

悔い改めとは、近づきつつある天国、神の国に向かって生きることなのです。悔い改めた者は天国の弟子となるのです。イエスの福音の本質が神の国の到来なのですから、イエスの弟子になることは、とりもなおさず、天国、神の国の弟子になることだと言ってもいいのです。

その倉とは、普通、聖書を指すと理解します。神の国の到来を聖霊によって教えられ、弟子になった者は、聖書が私たちに与えられた珠玉の宝庫であることに目が開かれていきます。

また古いものは旧約聖書、新しいものは新約聖書と理解するのが一般的だと思います。ただイエスがこの言葉を弟子たちに語った時は、まだ新約聖書が存在しなかったことを考え合わせますと、もう少し自由な解釈も許されるのではないかと思います。すなわちここで言う倉とは、み言葉の宝庫を指すとともに、神が天国の建設、進展のために豊かに備えてくださった賜物を表しているとも考えられます。

神の国の使信に生きる弟子たちは幸いです。イエスの再臨という天国の目に見える出現に向けて弟子とされた私たちは幸いです。聖書がどれほど希望に満ちた宝庫であるかがわかってくるのみならず、神の国の進展のために、神がすでに備えてくださっている賜物にも目が開かれていくのです。

アドベンチスト(ミラーの再臨運動)は当時、最先端の印刷技術を駆使して、新聞や雑誌の「紙の爆弾」というべき組織的文書伝道を、史上初めて行いました。その後継のセブンスデー・アドベンチスト教会も、ラジオやテレビ伝道をいち早く始めました。

今、私たちの環境はコロナによって大きく変わりつつあります。私たちはそれらの新しいものを天国の建設に活用します。同時に、古い残すべきものを、引き続き用いていきます。その知恵を、神は天国の弟子である私たちに教えてくださるのです。

*聖句は©️日本聖書協会

アドベンチスト・ライフ
2022年1月号
教団総理 稲田 豊