【100日間の祈り】
第7週
「すべてが最善」
ロン・クローゼ
(北アジア太平洋支部に牧師会長として勤務。著書に『Adventist’s Greatest Need: The Outpouring of the Holy Spirit』がある)
2001年に私は生死をさまよう経験をしました。救命救急医の処置があと3時間遅れていたら、間違いなく死んでいただろうと断言されました。私が学生たちを連れて西アフリカで伝道旅行をしている間に、熱帯熱マラリアに患ってしまい、米国に戻って数日たってから症状が現れたのです。高熱と脱水状態、さらにひどい頭痛が襲ってきました。これまで経験したことがないほど最悪の気分で、自分はこのまま死ぬのではないかと本気で思うほどでした。出張中だったため急いで空港に行き、家まで帰らせてくださいと神様に祈りました。どうせ死ぬなら、わが家で死にたいと思ったのです。
妻は私を救命救急外来のある病院に急いで連れて行ってくれました。すでに幻覚症状に陥り、嘔吐のために体中から水分が失われていました。車椅子で処置室に運びこまれるやいなや、私は一度失神してしまったようです。朦朧と意識を取り戻したときには、人生がスローモーションのように流れていくのを感じました。1分が1時間に感じられ、1時間が1日のように感じられました。妻リサが当時14歳、12歳、10歳の3人の子供たちを連れてきていて、みんなが声を殺して泣いているのが見えました。米国ではこの病気は稀なので、マラリア患者専門の医師や看護師が、私の面倒を見てくれていたのを覚えています。
私の命を、死が飲み込もうとしていました。私の罹患したマラリアの種類は、最も毒性の強いもので、大抵の患者は命を落としてしまうと後に聞かされました。しかし奇跡的に命を取り留めることができたら、再びマラリアに感染しない限り再発することはないということです。大勢の人々が祈りはじめました。妻も子どもたちも、私の両親も他の親族も祈ってくれました。私が教鞭をとっていたサザン・アドベンチスト大学の同僚たちも、学生たちも祈ってくれました。世界中の友人たちも、全国の牧師たちも祈ってくれました。後に調査したところ、2,000人以上の人々が当時私のために祈ってくれたのです。
しかし物事は簡単には解決しませんでした。熱帯熱マラリアに効く適切な薬が手に入らなかったのです。医師の友人が、迅速な処置を行うために病院にアドバイスしてくれたおかげで、アトランタから薬を取り寄せることができました。「キニーネ」というその薬はマラリアなどに使用される古い薬で、現在ではめったにお目にかかりません。毒性が強く、ひどい副作用をともないますがマラリア治療に効果のある薬です。入院して48時間が経過しましたが、私の体にキニーネが投与されました。しかし期待したほどの奇跡は起こらず、翌日の安息日も私の病状に回復の兆しは表れませんでした。
ひどく体力が消耗するなかで私も祈りを捧げました。しかしその祈りは「嘆願」というよりも「感謝」でした。私は自分の命をすべて神様に委ねていましたから、その時が来たなら人生を終える準備はできていました。唯一の心残りは、妻と3人の子供たちを残して逝くことでしたが、それも神様のみ旨に委ねようと思いました。すべてを最善に導いてくださる主を信じる私にとって、心はとても穏やかでした。
安息日の午後に、大学の同僚数人と母教会の牧師がやってきました。彼らは聖書の約束に従って私に油注ぎをし、(ヤコブ5:13-15)私のために祈ってくれました。その晩、リサは夜通し私に付き添ってくれました。私との別れが近づいていると本気で感じていたようです。
翌朝5時、いつものように看護師が採血に訪れ、それから4時間後に担当医が驚いたような表情で私の病室にやってきました。私の体調は回復基調にあり、入院して初めてベッドに起き上がることができました。今朝の血液検査の結果、マラリアの痕跡を見つけることができなかったと医師は私に言いました。マラリアが消えてしまったのです。医師は、キニーネがこれほどまでに早く効いたことに驚きを隠せませんでした。しかし私には、マラリアが消えたもう一つの理由がわかっていました。それは私の愛する人々と聖徒たちの祈りでした。神の民があまりにも執拗に嘆願するので、慈悲深い神様が私の癒しを承諾してくださったのだと信じています。
「同じあわれみ深い救い主が、今日も生きておられて、ご在世のころと同様に信仰の祈りに喜んで耳を傾けてくださるのである。――われわれがこのようにして求めなければ与えられないものが、信仰の祈りにこたえて、われわれにさずけられることが、神のご計画の一部である。」 『各時代の大争闘』 下巻 269、270ページ
キリストには私を癒す義務などありませんでした。彼は私に何の借りもないのですから! ただ私のすべてはキリストのうちにあって、今現在もあるのです。こうして主は私を病から癒してくださったのでした。
人々の生命を脅かす病魔がいつも同じように終息するわけではありません。しかし癒し主は同じキリストです。キリストは心から信頼できるお方であり、私たちが生きるにしても死ぬにしても、感謝を捧げることができます。キリストは決して私たちの祈りを無視して、私たちの魂を傷つけるようなことはなさいません。私たちがキリストから受け取るものは「すべてが最善」なのです。
瞑想しましょう:
悪習慣の結果起こる病気も含めて、どのような病気も神様は癒やすことができるとあなたは信じますか? あなたは今日、神様と正しい関係で結ばれていますか? あなたは今日、キリストとの間に平和を保っていますか?
実践しましょう:
病とは破壊された世界の一部分であって、誰一人安全な人などいません。しかし私たちはどのように病と向き合うかを選ぶことができます。霊的・肉体的な癒しを祈りつつ、いつでもキリストにすがりつくことができるのです。私たちがキリストとつながっている限り、たとえ病の結果がどうであろうと心を平安に保つことができます。病気になっても信仰を強く働かせることができるかどうかは、健康なときにどのような信仰を保ってきたかによるのです。今日神様への信仰を新たにしていただきましょう。復活の朝には、信仰を持つすべての人々は病から完全に癒され、よみがえるとの約束を信じているのですから。この希望に生きるときに、私たちは「死」をも受け入れることができるのではないでしょうか。
「私たちの主イエスキリストは、人類の必要に応じられるために倦むことのないしもべとしてこの世においでになった。彼は人類のすべての必要に奉仕なさるために、『わたしたちのわずらいを身に受け、わたしたちの病を負』(マタイ8:17)われた。すなわち、病気の重荷とあわれな状態と罪を除くために、キリストはこられたのである。人類を完全に回復することが、彼の使命であった。彼は、健康と平安と完全な品性を与えるためにおいでになったのである。」 『ミニストリー・オブ・ヒーリング』 3 ページ
讃美の報告:
「わたしたちの教会では毎晩オンラインで祈祷会を始めました。みんなと毎日顔を合わせることができるので、お互いを近くに感じられるようになりました。祝福です!」(ブリトニー&ヴェネッサより)
「コロナウィルスは教会が建物ではなく、人々であることに気づかせてくれました!」(マイロより)
祈りの課題
- コロナウィルスのために教会員を失った(亡くなった、あるいは教会を離れた)教会のためにお祈りしましょう。
- がん、自己免疫疾患、うつ病、その他の病いで苦しんでいる教会員のためにお祈りしましょう。
- 教会から離れてしまった長欠者のために、また彼らの影響によって神様から離れてしまった人々のためにお祈りしましょう。
- 過去数年間の全員参加伝道のプログラムを通して教会に導かれた新しい教会員のためにお祈りしましょう。