旧約聖書歴代誌上21章は、ダビデが行った人口調査について記録しています。ダビデとは微妙な関係にあった軍司令長官ヨアブは、命令を受けたとき、ダビデを諌め、その企てを止めようとします。「主君はなぜ、このようなことをお望みになるのですか。どうしてイスラエルを罪のあるものとなさるのですか」(歴代誌上21章3節後半)。しかし、「ヨアブに対する王の命令は厳しかった」ので、この人口調査は実行に移されます。
ダビデが全イスラエルの王となる前、ユダだけの王であった頃には、ヨアブはダビデの手に余る存在でした。時にはダビデの意志を無視して行動することすらありました。十二部族統一を成し遂げた今、ダビデは潜在的なライバルであるヨアブを押さえつけて王としての権威を確立しようとしていたのでしょう。そして、そのヨアブはこの人口調査を罪とみなしているわけです。
政治的に言えば、ダビデのこの政策は中央集権です。王権による民の直接支配です。しかし主なる神は、そもそも王による支配を好んでおられませんでした。サウル王を認めたのは、ある種の妥協と言ってよいかも知れません。理想は、主なる神への信仰によってイスラエル十二部族がそれぞれの自主性を保ちながらも緩やかにまとまっていることでした。そのためにも、主の名が置かれる聖所は一つでなければなりませんでした。後に北王国イスラエルと南王国ユダに分裂したとき、北王国イスラエルの初代ヤロブアム王はシロとベテルに聖所を設け、南王国ユダの首都エルサレムにある正統の聖所に人々が参拝するのを止めようとします。聖所が神の民の統合の中心であると知っていたからこそ、参拝によって南北再統一の機運が高まるのを恐れたのです。ダビデの王権強化策は、その主なる神の望まれるところを踏み越えていました。あまりに強い王権は、主の望まれるところではなかったのです。
一方、民数記が記録しているモーセの行った人口調査は、神から命じられたものであり、何ら問題ありませんでした。ダビデの失敗は、主なる神に聞かずに、自分の思惑だけで企てを始めたことでした。他にもモーセの人口調査にあってダビデの人口調査にはなかったものがあります。それはレビ人による贖いでした。それがダビデの人口調査から抜け落ちていたのです。どのような良い意図を持ってなされても、主に聞くことなく始められた企て、また主イエスによる贖いが抜け落ちた企ては、最終的に禍にしかならないのです。
「現世ばかりでなく、来世においても、受ける祝福のすべてには、カルバリーの十字架が押されている」(『キリストの実物教訓』第25章「タラントの正しい用い方」より)。
*聖句は©️日本聖書協会
アドベンチスト・ライフ2023年2月号
教団総理 稲田 豊