セブンスデー・アドベンチスト教会

無名のヒーローたち

無名のヒーローたち

東日本大震災とそれに続く原発事故は、日本に物理的及び精神的に大きな傷跡を残しました。その傷はまだ癒やされていないと感じます。福島第一原発が最大の危機に直面したとき、全人員の撤退を示唆した東電幹部の発言は、「人命は何よりも尊い」としてきた日本社会の限界を示すものでした。「他の命を救うために、自分の命を捨てるもの」が求められる局面があるという冷徹な事実が突きつけられたのです。極限状況のなか、日本政府はアメリカ側から、「今こそヒーローが必要だ」と迫られたと言います。ここで彼らが言っているヒーローとは、脚光を浴びて賞賛を浴びる人たちではありません。あえて損な役回りを引き受け、他の人たちを助けるために自分の命を危険に晒して義務を果たす人たちです。
映画『Fukushima50』は有名になりました。しかし第一原発、第二原発にいた人たちだけでなく、その周りの多くの自治体で公民を問わず無数の無名のヒーローたちが、日本社会が第二次世界大戦後直面したおそらく最大の危機を乗り越えるために身命を賭したのです。人命第一、公平性、自己責任、そのような原理だけでは社会や共同体は成り立ちません。それは無数のヒーローによって支えられています。ましてやキリストの教会は、さらに多くのヒーローたちによって支えられて今日も存続しているのです。
現代の教会は、イエス・キリストのゆえに犠牲を払うことについてあまり語らなくなりました。だから深い信仰の喜びも失われてきているのでないかと憂慮します。
使徒パウロは、「つまり、あなたがたには、キリストを信じることだけでなく、キリストのために苦しむことも、恵みとして与えられているのです」(フィリピの信徒への手紙1章29節)と語りました。また、「今やわたしは、あなたがたのために苦しむことを喜びとし、キリストの体である教会のために、キリストの苦しみの欠けたところを身をもって満たしています」(コロサイの信徒への手紙1章24節)とも言っています。キリストの苦しみに参与している。それだけでなく、私はキリストの苦しみを補っているのだとまで言い切ります。そこまで彼は自分の苦しみに大きな意味を見いだしていました。それはパウロだけではありません。今日、日本の教会も無名の無数のキリストのヒーローたちによって支えられています。彼らは人に知られることなく、主イエスに日々仕えているのです。
人に知られていないことは問題ではありません。このヒーローたちは、この世界においては揺らぐことのない信仰の喜びが与えられます。そしてイエス・キリストは、ご再臨の朝に彼らに、「良き僕よ、よくやった」と声をかけてくださいます。その時、私もあなたもその場所にいるのです。

*聖句は©️日本聖書協会

アドベンチスト・ライフ2025年3月号
教団総理 稲田 豊