新型コロナウィルスの感染の場とならないために、また市民として感染終息に協力するために、多くの教会が安息日等の教会堂での礼拝を休止しています。安息日にいつものように、いつもの教会で、いつものプログラムを持つことが難しくなりました。しかしそれは、教会の活動が止まったことを意味しません。
教会とは、教会堂のことではないからです。教会は、固定化されたプログラムでも組織でもありません。教会は安息日にだけ活動するわけでもないのです。教会とはエクレシア、召し出された神の民、私たち信仰者の群れです。その活動は固定化されることなく実にダイナミックなものです。信仰者の信仰が生きている限り、教会も止まることなく日々歩み続けるのです。新しい礼拝と学びと交わり、伝道の方法を用いて前進するのです。
そもそも初代教会には、教会堂も固定化された教会組織もありませんでした。エルサレムではナザレのイエスをキリストと信じる者が信徒の家々に集まり、み言葉を学び、祈り、食事を共にし交わっていました。異教国ローマでは、カタコンベと呼ばれる地下墓地に密かに集まりました。教会は、キリストを中心とした生き生きとした霊的な交わりでした。そこに聖霊が力強く働いていました。
「彼らは、使徒の教え、相互の交わり、パンを裂くこと、祈ることに熱心であった。すべての人に恐れが生じた。使徒たちによって多くの不思議な業としるしが行われていたのである。……そして、毎日ひたすら心を一つにして……神を賛美していたので、民衆全体から好意を寄せられた。こうして、主は救われる人々を日々仲間に加え一つにされたのである」(©️日本聖書協会 使徒言行録2章42~47節)。
初代教会は自律的な集会でした。誰かから強制されて集まるような他律的な集会ではありませんでした。自主的に互いに励まし合いながら、逆境の中で三位一体の神への礼拝を守り、聖徒の交わりを続けたのです。そして神の豊かな祝福の中で成長し続けたのです。
外出を許されない北カリフォルニアのマウンテンヴュー日系人教会の友人が興味深いビデオを送ってくれました。安息日に教会に集うことのできない彼らは、ZOOMというWeb会議ツールを使って安息日学校の聖書研究ガイドをしているのです。それぞれの家からインターネットで安息日学校に参加し、聖書研究を楽しんでいます。生きた学びと交わりがそこにはあります。教会は、このような逆境の中にあってもなお前進できるという一つの証左です。何かをしようとする教会を神は豊かに祝福されます。あらゆる工夫が必要です。
神は順境の時も逆境の時も私たちと共にいて下さいます。いかなる状況の中にあっても聖霊は力強く働いて下さいます。そもそもキリストの教会にとって順境の時とはいつだったのでしょうか。サタンはいつもこの教会の働きを止めようと必死です。しかし、教会の活動は止まりません。私たちの信仰が生きている限り教会は止まることはないのです。
救霊使命を与えられている教会は、キリストの再臨に向かって決して止まることはありません。
アドベンチスト・ライフ
2020年5月号
教団総理 島田真澄