新約聖書ヤコブの手紙1章には、このように諭されています。「だれも、『神に誘惑されている』と言ってはなりません」(ヤコブの手紙1章13節)。続けて、「わたしの愛する兄弟たち、思い違いをしてはいけません。良い贈り物、完全な賜物はみな、上から、光の源である御父から来るのです」(同1章16、17節)とあります。
私たちが信じる者であっても、罪の誘惑はやってきます。しかし、それは決して神から来るものではありません。その根源は、サタン、悪魔にあるのです。私たちは一人ではその強大な力に対抗できませんが、神は贖い主イエス・キリストを通して、罪と戦う力を与えてくださいます。
もし、罪の誘惑に負けて倒れてしまったとしても、それで終わりだと決して考えてはなりません。イエスは、何度でも私たちを立ち上がらせてくださるお方です。差し出された主の温かい手を、しっかりと掴みましょう。ヨハネの手紙一には、このように力強く約束されています。「わたしの子たちよ、これらのことを書くのは、あなたがたが罪を犯さないようになるためです。たとえ罪を犯しても、御父のもとに弁護者、正しい方、イエス・キリストがおられます」(ヨハネの手紙一・2章1節)。
特に、この終わりの時代において、天の大祭司であるイエスは、あらゆる国民、種族、言語、民族を、至聖所の恵みの座へと招いておられます。「だから、憐れみを受け、恵みにあずかって、時宜にかなった助けをいただくために、大胆に恵みの座に近づこうではありませんか」(ヘブライ人への手紙4章16節)。この招きは、すべての時代、すべての人々に向けられたイエスの愛に満ちた呼びかけですが、再臨前のこの終わりの時代に生きる私たちにとっては、特別な意味を持っています。
私たちは、この恵みの招きに応じ、自らの罪をイエスの御前に告白しましょう。そうすることで、私たちは罪の泥沼から力強く引き上げていただけるのです。
エレン・ホワイトも、不朽の名著『各時代の希望』第47章「奉仕」の中で、次のように力強く訴えています。
「われわれを天に結びつけ、暗黒の勢力と戦う力をわれわれに与えてくれるのは信仰である。キリストを通して、神は、あらゆる罪の傾向を征服し、あらゆる誘惑に抵抗する手段をお与えになった。しかし、自分は信仰が足りないと思って、キリストから離れたままでいる者が多い。こういう魂は、無力と無価値のままに、憐れみ深い救い主のいつくしみにすがりなさい。自分を見ないで、キリストを見なさい。この世におられた時に、病人をいやし悪鬼を追い出されたお方は、今日も同じように偉大な贖い主であられる。信仰は神のみことばによって生まれる。だから『わたしに来る者を決して拒みはしない』とのキリストの約束をしっかりつかみなさい(ヨハネ6章37節)。『信じます。不信仰なわたしを、お助けください』と叫んで、イエスの足下に身を投げなさい(マルコ9章24節)。そうするかぎり、あなたは決して滅びることはない、決して」
*聖句は©️日本聖書協会
アドベンチスト・ライフ2025年6月号
教団総理 稲田豊