セブンスデー・アドベンチスト教会

悩み相談

悩み相談

人生において悩みや不安事はなかなか尽きません。もし相談して、「悩みは良くないから早く捨ててしまえ」と、ろくに話も聞かずに正論で返された日には、「それが分かっててもできないから相談したんですけど!」と、愚痴や怒りなどが湧いてきて、相談する前よりも心が良くない状態になってしまうかもしれません。もはや人の数だけ存在するといっても過言ではないのが悩み事です。

クリスチャンは悩みを抱えた場合の対処法を経験的に知っていると思います。例えば「明日のことまで思い悩むな」(マタイによる福音書634節)に代表されるように、自分にとっての苦難が発生した際、ひとしきり悩んだ後に聖書の御言葉から光をいただくことで、「そうだった、最終的には神様から平安をいただくしかないんだった。ようやくこの思いに至りました。主よ、感謝します!」と、心の着地点が与えられるのです。

相談を受ける側の心得

今日は趣を変えて、「相談を受ける側の心得(クリスチャン編)」を考えていきたいと思います。アドバイスをするときの注意点など、カウンセリング技術的な話ではありません。クリスチャンが相談を受けるときの精神的なことに焦点を絞った話です。

私がクリスチャンになり、神学科で学び始めた頃のことです。これまでのような自己流や一般的なやり方で悩みを受けるのではなく、これからは相談者に対してもっとふさわしい向き合い方があるのではないか、という疑問が湧き、答えを求めて周囲に問いかけたことがありました。

まだ二〇代だった私は、今よりもかなり感情的で、変な正義感とプライドの塊だったので、人からさまざまな意見を受けても、「そうかな? 何事もやってみなくちゃ分からないぜ!」の反骨精神において、暗中模索でしたが、身をもって検証してみたのです。

一生懸命に頑張ったその結果……半年くらいで力尽きました。

そもそもどうしてこんな検証をするに至ったかというと、悲しむ者とともに悲しみ、自分も一緒になって暗い状態に落ち込んでいくクリスチャンを複数人見たことがあったからです。想像の域を出ませんが、もしかすると、「喜ぶ人と共に喜び、泣く人と共に泣きなさい」(ローマの信徒への手紙1215節)を文字どおりに実践されていたのかもしれません。

その姿勢に「すごいなぁ」と感心する一方で、何か違和感も覚えました。もちろん「共に泣く」ことを否定するわけではありません。しかし、この方法には条件や限界があるとも思ったのです。自分が健康で余裕があるなら続けられるかもしれませんが、もし大勢の人から一日に何時間も相談を受け続けるような場合は身が持ちません。また、相談を受けるたびに自分も暗くなっていては生活や他の仕事に支障をきたします。つまり万人向けではないと考えたのです。

さらに、相談を受ける自分の心がどこにあるのか、霊的な意味での危険性もはらんでいます。というのは、悩みを打ち明けてきた人はほぼ確実に、相談に乗って同調して涙を流してくれた「自分」に対して感謝を向けてくることでしょう。しかしこのままではまずいのです。ここから先が一般の場合とクリスチャンの場合を分ける分水嶺になります。

イエス・キリストの方法

クリスチャンは自分が受ける栄光を、すべて主なる神様にお返しします。感謝されるべきは神様であって我々ではありません。そこで登場するのが「イエス・キリストの方法をとる」ということです。

主は、人間と天上の父との間でいつも執り成してくださっています。いわば「パイプ役」に徹しておられます。私たちも同じように、受けた相手の相談内容や気持ちを自分の所で止めずに、神様に受け流しましょう(言わずもがな相談内容はちゃんと聞いてあげてくださいね)。

相談者が必要としているのは厳密に言うと「涙」ではなく「寄り添う」ことです。寄り添った結果に涙や感謝が発生するのは仕方のないことかもしれません。しかしここで一番注目したいのは、相談者が我々を通して知らないうちに神様へ悩みを打ち明けているという構図なのです。これは模範であるイエス様のように、我々も自分を出さずにパイプ役に徹することによります。もし自分が感謝されたとしても、そのまま右から左に神様に捧げてしまいましょう。

老若男女に関係なく誰しも悩みを抱きますが、幸いなことに我々は聖書と祈りによる解決法を知っております。しかしその機会に恵まれていない方々も大勢おられるのです。もしそのような方々の悩みを聞くのと同時に、相手の心を知らないうちに神様という真の解決者のもとへ繋げてしまうお手伝いに携われたのなら、これはクリスチャンとしてなんという僥倖でしょうか。

もし相談を受ける機会が巡ってきたら、悩みを受けても自分の所で止めないで、神様に相手のことを受け流してしまう祈りをコッソリ実践してみてください。何度かやっているうちに、祈った場合とそうではない場合とでは、まったく異なる状態が自分にも相手にも展開されることに気が付かされます。なぜならその場に、主が共におられるからです。

そして最後に一番大事なことを伝えます。相談者が帰った後にも、一人になって祈ってください。「神様、どうぞ◯◯さんに祝福をお与えください。先ほど得た結果はすべてあなたにお捧げ致します。これからも色々と学ばせてください」と。

神様の栄光が地に満たされますように!

*聖句は©️日本聖書協会

武田将弥/たけだまさや

札幌出身。青年伝道の活動を経て牧師となり、関東で奉仕した後に出身地の北海道へ。現在は旭川、十勝、釧路を牧会中です。4人家族で妻と2人の小さな息子がいます。

アドベンチスト・ライフ2024年2月号