セブンスデー・アドベンチスト教会

何をしたらよいでしょうか

何をしたらよいでしょうか

何よりもまず、心を込めて愛し合いなさい。愛は多くの罪を覆うからです。 不平を言わずにもてなし合いなさい。
(ペトロの手紙一・4章8、9節)

「わたしは死ぬまでに何をしたらよいでしょうか」

弱々しくうつむいていたその方は、思い立ったようにぱっと目を見開いて、そう問いかけました。尋ねるその目は真剣でした。しばらくの沈黙がありました。それは優しい時間でした。神様はこの方になんと応えるのでしょうか。祈っていました。
「愛しましょう」。その言葉を発した自分に驚きました。問いかけられたとき、その思いをもう少し伺うのが通常なのですが、不思議とあの日、そのように反応していました。すると、その方は顔をくしゃくしゃにして笑いました。やり残しをたくさん抱えたその方にとって、「愛する」ということは、笑うくらい意外だったようです。そして、もういろいろな人々のことを考え始めていたようです。次第に潤んでいく優しい目が物語っていました。
その方は多くの愛をもらっていたことを知っていました。「何もしてあげられない」と嘆いていたその方は、「愛する」ことが残っていたことを喜びました。愛する人々のことを神に祈り託すことだと、その方は気づきました。「だとすると忙しくなる」と微笑みました。

何よりもまず

「何よりもまず、心を込めて愛し合いなさい」と聖書は語ります。何よりもまず、と命じられています。
実はこの当時、私はひとつのチャレンジを経験していました。とっさに口から出た「愛しましょう」は、私への神からのメッセージだったのだと気づかされます。複雑に絡み合った糸を「こうあるべき」という方向に整えようとしていました。それでも努めれば努めるほど、糸は締まっていきます。
そういえば父の私への最後の助言は、「折れんとね」でした。故郷の表現で「折れなさいね」という意味です。自分によく似たまっすぐな私を案じての言葉でした。私は自分が考える「こうあるべき」で自分自身を苦しめていたようです。聖書のことばは、真実です。私は、「何よりもまず」するべきことを飛び越えていたようです。
「何よりもまず、心を込めて愛し合いなさい」。これは単純で強力なことばです。この命令の前提には、まず愛してくださる神が存在することを私たちキリスト者は知っています。けれども、これは繰り返し確認する必要があることです。なぜなら、私たちは「何よりもまず」するべきことをほとんどの場合誤ってしまうからです。

私たちの居場所

安息日学校聖書研究ガイドは毎回気づかされることの多い学びです。今年初めのガイドも例に漏れず私に語りかけます。
「神の愛は永遠であり……それは、私たちが何をするよりも先に、神がご自身の完全な永遠の愛をもって私たちを喜んで愛してくださるからにほかなりません。神に対する私たちの愛は、求める前からすでに与えられているものへの応答なのです……。神の愛が常に最初なのです。……神ご自身がすべての愛の根拠であり、源です。しかし、それを受け入れ、自分の人生に反映させるかどうかは、私たちに選択権があります」(『神の愛と正義』[安息日学校聖書研究ガイド2025年1~3月]15ページ)。
喜んで愛してくださる神の愛が、私たちの居場所です。「愛のうちを歩くことが、すなわち、戒めなのである」(ヨハネの第二の手紙 6、口語訳)。「こうあるべき」という方向にものごとを進めたり、他者と和解したりということの前に、神の愛の内に居る選択肢があるということです。そこが私たちのもっとも平安な場所なのです。そこから愛することが始まるのだというのです。
「先生、永遠の命を得るには、どんな善いことをすればよいのでしょうか」と尋ねた男にイエスは、「なぜ、善いことについて、わたしに尋ねるのか。善い方はおひとりである」と応えました(マタイによる福音書19章、傍線は筆者)。救われるために「善いこと」をしようとする男に対して、救う心をお持ちの「善い方」が救うということを端的に教えています。初めから救おうとして、まず近寄る神に対して、人は「何をすれば」と的外れの問いかけをしているのです。
また弟子たちが「神の業を行うためには、何をしたらよいでしょうか」と問うた時に、イエスは「神がお遣わしになった者を信じること、それが神の業である」と応えました(ヨハネによる福音書6章、傍線は筆者)。
人を救おうとする神がたったひとつの方法として遣わしたイエスに対して、弟子たちは「何をしたら」と尋ねています。ここにもまた的外れの滑稽な問いかけがあります。神が人に求めていることは、ただ救われること……イエスは繰り返し人々に教えました。たったひとつの方法である方、イエスが、彼らの前に立っていました。
頑なな私たちを
私たちは頑なです。「うなじのこわい者」と神は戒めます。ストレートネックの私は、その表現を見るたびにハッとさせられます。「何をすれば」「どうすれば」に繰り返し引き返そうとする頑なな私たちを救おうとする神の愛が先行します。「善い方」の愛の中に居て、「何よりも、まず心を込めて愛し合いなさい」と言われていることを受け取りたいと思います。
「わたしは死ぬまでに何をしたらよいでしょうか」と問うたその方は、愛することを選び、喜びました。愛することは、愛されていることを受け入れること。愛することは祈ること。その方はその生き方を選びました。

*聖句は©️日本聖書協会

永田英子/ながたひでこ

東京衛生アドベンチスト病院牧師部長(チャプレン)。
鹿児島市出身。29歳で受洗、33歳で渡米し、大学、大学院で学ぶ。1995年に帰国、病院チャプレンとして働き、30年目となる。

アドベンチスト・ライフ2025年3月号