セブンスデー・アドベンチスト教会

メルキセデクのような大祭司

メルキセデクのような大祭司

「わたしはまた、別の天使が空高く飛ぶのを見た。この天使は、地上に住む人々、あらゆる国民、種族、言葉の違う民、民族に告げ知らせるために、永遠の福音を携えて来て、 大声で言った。『神を畏れ、その栄光をたたえなさい。神の裁きの時が来たからである。天と地、海と水の源を創造した方を礼拝しなさい』」(ヨハネの黙示録14章6、7節)。

これは黙示録14章に登場する三天使の最初の天使で、このあとさらに二人の天使が続きます。
第一天使のメッセージは、「永遠の福音」と言われています。「神の裁きの時が来た」ことが永遠の福音なのです。なぜ裁きが福音なのでしょうか。大祭司イエスの働きを私たちに教えてくれるヘブライ人への手紙に答えがあります。パウロは、イエスはメルキセデクのような大祭司になられたと説いた後、メルキセデクとは何者だったかを説明します。

「このメルキゼデクはサレムの王であり、いと高き神の祭司でしたが、王たちを滅ぼして戻って来たアブラハムを出迎え、そして祝福しました。 アブラハムは、メルキゼデクにすべてのものの十分の一を分け与えました。メルキゼデクという名の意味は、まず『義の王』、次に『サレムの王』、つまり『平和の王』です。 彼には父もなく、母もなく、系図もなく、また、生涯の初めもなく、命の終わりもなく、神の子に似た者であって、永遠に祭司です」(ヘブライ人への手紙7章1~3節)。

イスラエルの制度では、裁判官である王と執り成しをする大祭司とは別々の人物でした。王はユダ族ダビデの家系、祭司はレビ族アロンの家系でした。イエスはダビデの家系だから、王になれるかもしれないが、祭司にはなれないと言う人がいたようです。
それに対してパウロは、レビもユダも生まれる前にその曽祖父アブラハムが什一を捧げた、サレムの王であり祭司であったメルキセデクという人物を引き合いに出します。レビだユダだという以前のルーツである父祖アブラハムが什一を捧げたくらいメルキセデクは偉大な人だったのだよ、というわけです。そして彼はまた、王でもあり大祭司でもあったのです。
こうしてパウロは、イエス・キリストが王であり大祭司でもあることを例証します。この二つの職分をイエスは統合されたのです。天の法廷と天の聖所は一つになりました。裁きと執り成しは一つになったのです。調査審判、もしくは再臨前審判と言われる天の法廷で行われている働きと、天の至聖所で行われている大祭司イエス・キリストの執り成しは一つになりました。私たちが罪を認め、告白するときに、その罪は大祭司イエス・キリストによって赦され、清められるのです。これこそ私たちの伝える永遠の福音なのです。

*聖句は©️日本聖書協会

アドベンチスト・ライフ2025年4月号
教団総理 稲田豊